僕だけの恋物語 - 1/2

 

 

【1】

 木々がまだらに色づき始めた、そんな季節。クーラーもいらないほどに涼しくなった気温の中。茜色に染まりつつある空を窓から眺めながら、僕は机に向かってペンを走らせていた。
 正しくは机の上に広がっているノートに、僕は文字を書いている。黙々と、淡々と、頭の中に思い浮かぶあらゆる可能性を紙に記しているだけだ。そんな僕のことを、この部屋で唯一見ている人物がいた。
 目の前に座って頬杖をつき、僕の姿を眺めるカミュは、僕が今書いている文化祭の舞台発表の主役を務める人物であり、この部室を保有する、演劇部の部長でもある。僕はといえば、ただのしがない文芸部だ。今年の春に入部をしたばかりの、ひよっこだ。
 僕が文芸部に入部を決めたのは、元々読書が好きだったからだ。それに加えて、自分で何かを書いてみたいという意欲が高じてしまったのが入部の決め手となった。あの手この手で僕を勧誘した、今の部長には感謝している。突拍子もないことをいいだすのが玉に瑕なのだけれど。
 ――いや、僕の事情はこの際どうだっていいんだ。僕には聞いてほしいことがある。そう。僕が今書いている、演劇部の脚本のことについてだよ。
 演劇部の文化祭の舞台の脚本を考えるのは、もっぱら文芸部長の役目として代々受け継がれてきていた。しかし今年は部長がどうしても受験勉強が忙しく出来ないということで、今年はなぜか後輩の(それも二つも下の)僕に役が回ってきたのだ。まあ二年生はとても人数が少ない上に兼部している人がほとんどだから、兼部もしていない一年生の僕が適任だったということだろう、と勝手に納得している。そうでなければこんな大役、引き受けられないよ。
 唯一の救いだったのが、相手の演劇部の部長が、知り合いのカミュだったことである。書いた脚本を読んでもらっては修正しての繰り返しを、学校帰りにファミレスやカフェで付き合ってもらっていた。
 ある程度形になってきたら、今日は読み合わせをしても良いかもしれないと言うカミュの提案で、演劇部の更衣室の片隅をお借りしている。人数分のロッカーと、衣装室に収まらなかったのだろう煌びやかな服と数々の小物が少し置かれている以外は、長机とパイプ椅子があるごく普通の部屋だった。簡易版応接室のようなものだろうか。今日も今までと変わらず、カミュが僕の前に座っている。
 カミュが一緒に考えてくれるのは、やっぱり助かる。けれどただ少しだけ、カミュが脚本を書く工程を見守ってくれている環境が、救いになりえない部分があった。それは僕の勝手な思いだから、決して彼には言えないことだ。
 言えるわけがない。かっこいい知り合いの彼に、恋心に似たものを抱えているかもしれないなんて。
 悶々とした想いを抱えて、いまだに黙々と、たまにぶつぶつ独り言を唱えながらペンを握っている。僕を、飽きずに眺め続けるカミュの優しい視線が熱い。演劇部のスターに、しかも勝手に恋心を抱いている相手に、熱烈な視線を送られると、普段感情が表に出ないと言われている僕もさすがにそうはいかない。しまりのなくなりそうだった顔をなんとか引き締める。
 耐えられなくなった僕は口を開いた。
「カミュ、ここの描写なんだけど」
「ん? どこだ?」
 僕が指差したのは書きかけの脚本の、登場人物の動きを表す部分だった。
「このカミュが演じてくれる人物なんだけど、眼鏡をモノクルにするか普段通りの眼鏡にするかで描写が変わってくるんだ。僕は役者の動きやすさで決めてくれていいと思うんだけど、カミュが決めてくれない?」
「そんなのどっちでもかまわねえけど」
「適当に言うと鼻眼鏡にするよ」
「オレが悪かったからそれはやめろ」
 カミュは焦った顔で僕に謝る。僕はくすりと笑った。笑うなよ、とカミュが言う。こんな冗談を言い合える関係が続けばいいな。心の隙間にそんな思いがよぎった。僕はそれを望んでいる。けれども一番望んでいないことだ。そんな矛盾が胸中で渦巻いている。
 彼の舞台発表は今年の文化祭が最後になる。引退して彼も受験勉強に専念するそうだ。そういう意味では、僕が書いた脚本を最後に演じてもらうというのはちょっとだけ優越感がある。本当ならばあり得なかったことなのだから。
「それならちょうど備品にあったはずだし、いっそ掛けてみるか」
「モノクルとか、置いてるの?」
「まあ仮にも伝統ある演劇部だしな。結構な種類の衣装はあるぜ」
 カミュは衣装ケースを漁りだした。
「あったあった」
 目的のものを見つけだしたのか、いたずらの成功した子どもみたいな表情を浮かべている。こちらに振り向いたカミュは、僕がさっき提示した選択肢のひとつであるモノクルを掛けていた。
「やっぱり盗賊って言ったらコッチの眼鏡がイメージに合うと思うんだが……どうだイレブン」
 ブレザー姿に片眼鏡という、ちょっと異質な組み合わせもカミュにかかればオシャレになるのだろうか。それともこれは、カミュのことが好きで好きでたまらない僕による色眼鏡なのだろうか。カミュの周りがきらきらと輝いて見えるのだ。
「イレブン?」
「えっ? あ、ごめんなさい」
 見惚れてました。はなんとか飲み込むことができた。そんな僕の様子を見て、カミュの口元がにやりと歪む。これはまたろくでもない事を考えているな。そう冷静に分析している僕は、きっとまだ彼に魅了されたままに違いない。モノクルを掛けたまま、カミュがこちらに近づいてくる。すっかり蛍光灯の明かりのみになってしまった空を背景に映して、笑みを崩さぬいたずらっ子な先輩の、足音がやけに大きく響いている気がした。
「『箱庭のお姫様。どうかわたくしとご一緒に、この牢獄から逃げ出してはくれませんか』」
 差し出された手は僕の方を向いている。このセリフ、さっき僕が見せた部分じゃないか。もう覚えたの。様々な僕が頭の中で口々にしゃべりだす。吸い込まれるような海色の瞳に、僕の理性も吸い込まれてしまいそうだった。
「は、い……『ともに、あなたと、どこまでも』」
 こんなにかっこいいなんて卑怯だ。
 ますます僕は彼に惹かれていくのだろう。そんな未来を予想して、僕はカミュの手を握り返した。