カミュがイレブンとそういう関係になったのは、もう一か月ほど前のことであった。それより以前から仲間たちはなんとなく彼らの状況を察しており、俗にいう恋愛関係に至った日には各地の祝い料理が彼らから振舞われた。宿が取れるのにキャンプにしようと言ったり、みんなが嬉しそうに料理の材料を買い込んだりしてくることに、昨晩互いに告白をしたときよりも顔を赤くさせ、二人で皆の手伝いをしたことは記憶に新しい。もう少したしなめられるかと思ったが、誰も二人を責めることはなかった。ただただ自分たちの関係の前進を祝福してくれる、たくさんの料理と揺れる炎がその場にある。旅の中でも指折りの記憶になることは間違いだろう。
「ときにイレブン。もう酒は嗜める年かの?」
ロウがイレブンに問うた。イシの村の基準なら、十六の成人の儀式を終えたイレブンはお酒を飲んでも問題ないことを彼に伝える。
「じゃあお酒も用意しておいて正解だったわね!」
シルビアのその言葉を皮切りに、マルティナとロウを筆頭にしてイレブンと酒を飲みかわしたい仲間たちが、彼のグラスに自分のおすすめのアルコールを注いでいく。かと思えばカミュのところにはシルビアやベロニカがやって来て、グラスを空けることを阻んだ。
「カミュちゃーん、飲んでるかしら~?」
「せっかくのお祝いなんだから、しっかり受け取ってよね!」
「あ、こら待てやめろっ!」
飲み終わりに近かったグラスをひったくられ、勢いよく酒を注がれる。
「全員酔っ払いになったら誰が見張りすんだよ」
ゼロからのスタートになったそれを渡されて、カミュはげんなりとした顔でシルビアたちを見た。
「そんなことくらい私たちにまかせなさい。大体、キャンプではいつもあなたばかりが見張りを買って出ているの、知ってるんだからね」
カミュの右に座ったベロニカが手に持ったグラスの中身を一口、ぐび、と煽った。幼い姿に似つかわしくないほど様になっている。
「おいベロニカ、その中身」
「いやね、ジュースよ。ジュース」
お酒は最初の一杯で終わりにしたの、という彼女。空になったそれを見たシルビアが、違う色のジュースを持ってきて注いでいた。りんごの次はオレンジだろうか。見張りを引き受けるというのは本気のようだ。
「見張りのことよりも、カミュちゃんはイレブンちゃんの心配をしたほうがいいかもしれないわねぇ」
そういってシルビアはちらりとイレブンたちの方を見やった。カミュもそれに釣られて視線を動かす。
そこには火を見るよりも明らかに泥酔したイレブンと、間違いなく酔いの回っている仲間たちがいたのだった。
「おじいちゃん……」
イレブンの様子がおかしい。それに気づける人物はイレブンの周りにはいなかった。ロウも、マルティナも、セーニャも、完璧に出来上がっている。ふにゃふにゃと緩みきった顔を紅潮させて、イレブンはロウにしがみついた。丸太に座るロウの腹部に腕を回して、ぐりぐり、むにむに、とその体型を存分に堪能している。そんな仲睦まじい家族の風景を目の当たりにしたマルティナは「かわいい弟だわ」と言ってその輪に入っていった。ぐりぐり、むにむに。マルティナもロウもそれぞれの幸せそうな表情で、ふわふわと意識を飛ばしていた。
その様子を隣の丸太に腰かけていたセーニャが眺めて「まあみなさま、幸せそうですね~」と両手に持ったグラスの中身を一口、また一口と飲み進めていくのだから、さながら地獄絵図のようであった。
「おじいちゃん、すき……。まるてぃなよりも僕のほうがおじいちゃんのこと好きだよたぶん……」
「そんなことないわイレブン……ロウさまはあなただけのおじいさま……そして私は、あなただけのおねえさんよ……」
「うぅ……おねえちゃんも、すき……」
「わたしもよ……」
へべれけの二人に挟まれているロウは、とっくに夢に旅立っていた。それにすら気づかず二人は会話を続けている。宙を漂うような会話に終わりは見えず、素面では言いにくいことを紡がせた。少しだけ素直になれた瞬間である。酔っ払いだが。
「いれぶん、私はもうねるわ」
おやすみなさい。マルティナはそう言い残して、さらにイレブンの額にキスをした。突然の出来事ではあったが、自らの睡魔を察したのだろう。しかしかわいくきれいな自慢の弟への愛情表現が行き過ぎていることには気づいていない。据わった目が、彼女が今唐突にやってきた睡魔を退けようとしていることがうかがえた。
「僕も~」
イレブンも負けじとマルティナに、全く同じことを返す。「かわいい……」と一言呟いて、マルティナは眠りに落ちた。幸せに満ち満ちている彼女の表情は晴れやかだ。酔っ払い同士のオウム返しはこうして防がれたのだった。
さて、相手がいなくなったイレブンはというと。
「せ~にゃ~」
「あらイレブンさま。お顔が真っ赤ですわ」
イレブンはふらふらとセーニャに近づき、先程自分がされたようにセーニャの額にも唇をつけた。当のセーニャはあらあらまあまあを繰り返すばかりで、ことの大きさを理解していないようだった。離れた場所で一連の流れを見ていた、あまり酔いの回っていないカミュたちは内心大慌てである。
「……ちょっと、あの勇者止めて来なさいよ」
「……ああ、そうするわ」
「……ふたりとも。さっきからイレブンちゃんがこっちをじっと見ているわ」
「べろにか~」
「こっちに来たわよ!?」
次の狙いを定めたのか、タガの外れた素早さでカミュたちの元にやってきたイレブンは、ベロニカをひょいと持ち上げた。
「ちょっとイレブン! また子ども扱いして、」
ベロニカが文句を言いきる前に、彼女の頬にイレブンの頬が触れた。子どもの頬が気持ちよいのだろう。「やめなさいよ!」と暴れるベロニカを無視して、イレブンは何度もベロニカに頬ずりを繰り返す。満足したのか最後はそのやわらかいほっぺに唇を押し当てて彼女を地面に下ろした。ベロニカは唖然としてその場に立ち尽くしている。無理もないだろう。イレブンがこんなにも他人と自分のパーソナルスペースを重ねてくることなど、今日の今日まで一度もなかったのだから。
「シルビアはやっぱりきれいだね……」
「ちょっとイレブンちゃん。飲みすぎよ?」
シルビアは大人の余裕を持ってイレブンの対応に当たっていた。忠告を受け入れる思考回路は、今のイレブンには絶たれていた。彼はシルビアの片手をそっと取り、恭しくかしづいてみせた。
「しるびあ、いつもありがとう」
目を閉じて、その指先にキスを落とす。さながら王子様のようなその姿は王族の血によるものか、それともやはりただの酔った勢いなのか。カミュもベロニカも、シルビアもその真実を見破ることは出来なかった。
ここまでくればもはや無差別テロである。カミュは恐らく、次のターゲットは自分だろうとおおよそ予想はしていた。しかし飲まされ続けたイレブンとは違い、自分のペースで飲んでいたカミュは冷静さも判断力も失っておらず、誰彼構わずキスをするイレブンに少しばかりの苛立ちを覚えていた。酒の飲み方も強引な酌のかわし方も教えていかなければ。そう決意する。そして、カミュの予想は例外なく的中した。
「カミュ……」
自分を見つめる熱を持った瞳。心臓がどくどくと煩いのが、酒のせいなのか目の前の恋人が扇情的だからなのか、カミュは自分でもよくわからなくなっていた。そうしている内にもイレブンはにこにこと雰囲気に似つかわしくない顔でにじりよってきている。ここで自分までもが理性を失ってはいけないと、カミュはぐっと堪えた。カミュの首に腕を回し、ふにふにと頬をついばむイレブンの唇は少しかさついていて、頬を滑る感触がくすぐったい。まぁこれくらいなら良いか。とカミュはイレブンの好きにさせてやることにした。シルビアとベロニカを証人にして、明日になったら少しきつく注意しようと心に決める。
徐々に口元に近づいてくる唇を、カミュはやんわりと避けた。
「はい、もう終わりな」
されるがままだったカミュに引きはがされて、イレブンは腕を解いた。「よくわからない」と顔に書いてあるイレブンに、カミュは頭を抱えた。
「みんなも片づけはもう明日に回すぞ。とりあえず、今日はありがとな」
「火や料理のことは私たちがしておくわ。あなたはマルティナたちに布団をかけてあげて。セーニャ! あんたももう飲むのをやめなさい!」
そうしてイレブンとカミュの、恋人になって二日目の夜は酒の香りと酔いの回った仲間たちに囲まれながら過ぎていった。
◇ ◇ ◇
夜も更けたころ、カミュはふと目を覚ました。まだ眠気が残っていながら、妙にすっきりとした感覚に包まれている。キャンプの明かりはすでに消え失せていて、少し離れたところには、こちらに背を向けて静かに話をするシルビアとベロニカがいた。
体を起こすと、掛布団代わりの薄い布が腰元まで落ちた。隣には苦労して寝かしつけたイレブンが、まだすやすやと寝息を立てている。時折言葉になっていない寝言を呟いている、幸せそうなイレブンの姿を、カミュはぼんやりと眺めた。
関係が「今」進んだことが、果たして良い選択だったのか。カミュは隣でアルコールに潰されて眠るイレブンの髪を指先で軽く遊んだ。頭に浮かぶのはそればかりだ。
きっと誰も咎めない。それはカミュがイレブンに言い聞かせるように昨夜伝えた言葉であった。本当は伝えるつもりなどなかったイレブンの想いを引き出した言葉を、今は自分自身に言い聞かせ暗示をかける。勇者に対する期待や羨望、畏怖や憎悪。零れ落ちそうなほどのそれらを抱えた両手に、余計な負担をかけてしまったのではないだろうか。すべてを終わらせてからでもよかったのではないか。考えだしたらキリがない。深い海に、いや、底なしの沼に突き落とされたようだった。
「ん……、ぅ……」
「わり、起こしたか」
イレブンの髪に触れていた手を、カミュはそっと引いた。
「……かみゅ?」
まだ覚醒しきっていない脳と目を使って、イレブンはなんとかカミュを認識した。まだ開ききっていない瞼をこすっている。月明かりに浮かぶ肌が、月よりもまぶしい。
「どうしたの。カミュ、眠れない?」
小さい声ではあるが、先程よりもはっきりとした呂律でイレブンはカミュを呼ぶ。赤く色づいた唇が自分の名前の形を作り出すたびに、カミュは言いようのない高ぶりを感じた。彼の質問には答えず、一秒、二秒。視線だけを合わせる時間が通り過ぎる。
先に動いたのはカミュだ。覆いかぶさるようにして、先程の時間をやり直すかのようにイレブンの唇に己の唇を重ねた。
仲間二人の会話と草木の揺れる音をバックに、唾液の混ざる音が頭に響く。随分と長い時間口づけを交わしていたような気もすれば、一瞬のような気もした。数えきれないほど何度も離しては重ね合わせた感覚は、実は数えるほどしかないのかもしれない。
まだほんのりと酒気を帯びた吐息がかかる。気付けばどちらからともなくお互いの頬に手を添えていた。カミュの目の前にはとろとろに溶けたイレブンが酸素を求めて呼吸をしていた。すっかり酔いも醒めたようである。
カミュは思った。宝石を埋め込んだ、太陽よりもまばゆい輝きを放つ双眸が、彼を勇者たらしめる、本当の勇者の証ではないかと。それほどに強い意志がそこに潜んでいた。
ああ酔いが回っていたのかもしれない。カミュは先程の自分の愚かな思考を恥じた。勇者として言うつもりのなかった想いをこの優しい少年に言わせたのだから、彼が抱えるものが少しでも軽くなるようにしよう。それくらいの覚悟がなければ、恋人どころか勇者の相棒すら務まらないに決まっている。カミュはそう自己暗示をかける方向に思考をシフトさせることにした。
そうしていくらか軽くなった心のままに、カミュは囁く。
「イレブン、好きだ」
「うん、僕も……すきだよ」
ゆっくりと、ゆっくりともう一度。二人は互いの唇を重ねた。
(20170915:30日間カミュ主チャレンジ様)