「髪、切られちゃった」
えへへと笑って店にやってきたイレブンに、オレは凍り付いた。
つい今朝まで、肩にかかるほどの長さで整えられていたイレブンの髪が、たった一日学校で過ごすだけで、左側を失って帰ってくることになるなんて誰が想像しただろうか。少なくともカミュは想像していなかった。とうの本人はというと、事の重大さを分かっていないような、こちらが複雑な気分になるほどの笑顔である。「おじゃましまーす」と家主を差し置いて店内へ入って行ったイレブンに、カミュは頭を抱えた。
カミュにとって、イレブンは幼馴染であった。幼少を共に過ごしたかわいい弟のような存在であった。イレブンにとっては、カミュは物心ついたころから隣にいる、かっこいいお兄さんであった。髪を整えるために、美容師になったカミュのところへ通うのは、もはや習慣といっても過言ではないだろう。実際のところ、中学生のころまでやんちゃをしていたイレブンはその綺麗な髪を何度もぐちゃぐちゃにしては、カミュの店にを訪ねていた。だがしかし、まさかこんなにも無残になったイレブンの髪を見るのはカミュも初めてであった。
いつものように髪を切る準備をする。カミュの手は一寸のブレもなかったが、声までは抑えられず、動揺が見て取れた。
「切られたって、誰に何されたんだよ……あ、いや、髪を切られたのはわかってる」
やんちゃ時代の因縁でも買ったか、とカミュはイレブンに聞いた。むしろそうであってほしい。今はまだ、最初の衝撃で与えられたショックが抜け切れておらず、心配ばかりが感情の大多数を占めているが、イレブンの髪を切ったという相手に対する怒りがないわけがないのだ。
「誰って言われても、よくわからないかな。よくわからないけど、泥棒猫って言われたよ。カミュのこともなにか言ってたような気がするんだけど、その時にはもう髪を掴まれちゃってて……」
カミュはシャキリとはさみを入れた。どうにも怒りが乗ってしまうような音だと思った。
「その後のことはよく覚えていないよ。女の子? ああ、うん。女の子だった、と思うよ。すぐにいなくなっちゃったから分からないんだけどね」
「お前……それフツーに犯罪に巻き込まれてるからな? いつもみたいに返り討ちにすればいいと思ったんだろうけど、女相手で出来なかったってところか? ……ったく、心配だから今日からしばらく送って帰るわ」
カミュはイレブンの髪を切ったという相手に、少しばかり心当たりがあった。店の常連客の女だ。最近になってカミュの交友関係や日常生活をやたらと聞いてくる、少々面倒くさいと思っていた客の顔が頭をよぎった。対して害もなかったため放っていたが、イレブンに手を出してきたというなら話は別だ。この店の行く末も危うい。
「大丈夫だよ。一人で帰れる。カミュも忙しいの、僕知ってるよ」
女の人の嫉妬って怖いって聞いてたけど、ほんとだったね。足を少しぶらぶらさせて、のほほんと言い放つイレブンに、危機管理というものを教えなければいけないとカミュは決意した。そうしている内に、店内の音楽の一部になっていたハサミの音が止まった。
「ほら、出来たぞ」
「さすがカミュ、僕が僕じゃないみたい!」
「こーら。髪すすぐからこっち来い」
切られてしまった長さに合わせるのは癪だったが、それ以上短くはしたくないというイレブンの希望を聞いて、カミュはその長さに揃えた。怒りに任せたはさみの入れ方が滲み出ている気がしたが、イレブンが気づかなければそれでいいやと、カミュは自己満足で終わらせることにした。手を出したらただじゃおかないと主張する手段は、今のカミュにはそれしかなかったのだ。
イレブンの髪を乾かし終える頃には日はすっかり落ちていた。夏至を過ぎてからしばらく経つが、ここ最近は日没の早さを実感できるようになっていた。送っていくからなとカミュが念押しに伝えると、イレブンは先程とは打って変わって素直にありがとうと聞き入れたのだ。もう少し頑固だったような気がするイレブンの変化に少し戸惑いながらも、カミュは弟分の成長ぶりに感慨深いものを覚えた。
店の鍵を閉めて、二人はカミュの車に乗り込もうとした。
「あ、ごめん。忘れ物しちゃったから取ってくる」
「んじゃ車で待ってるわ」
「うん、ごめんね。すぐに取ってくる」
イレブンはカミュから店の鍵を受け取り、足早に去っていった。
「ふう、危ないところだった……」
照明の落とされた店内で、イレブンは忘れていた自分のかばんを手にしていた。そこから取りだしたはさみが、残り火のような夕日に照らされ、光る。
「はさみ、バレてなかったけど返しとかないと」
そのはさみに少しからまっていた、自分と同じ色をした髪を捨てて、イレブンははさみをそっと返した。
(20170930:第7回カミュ主ワンライ「散髪」)