スカーレットに恋をする

 
 

 彼の手が大きいことに気付いたのは、一体いつのことだっただろう。
「……大きい」
「男なんだから当たり前だろ。張り合うところじゃねえよ」
 ブリッジで、欄干にもたれかかるユウゴの前に立ち塞がって、早数分。手を出して、と言った私の要望に、片手だけで応えたユウゴに不満を持って軽く頬を膨らませたのが数十秒前。一向に出されない左手を、強引に掴んでから十数秒。勢いあまって腕輪をぶつけてしまってから、数秒後のことだった。
 受け皿のように差し出された彼の手の平に私の手をのせた。逆さまに重なり合った両手だけれど、その大きさは一目瞭然で。私はその素直な感想を呟くことしか出来なかった。
 負けていることが少し悔しくて、重なった手の平を睨み付ける。
 周囲に流されたわけでも、いい加減な判断を下したわけでもないけれど、気づけば私は、ユウゴと恋人関係にあったのだった。
 AGE以外の人間は、一生を添い遂げる相手を人生の中で見つけることがあるのだと知ってから、なんとなく、ユウゴに対して自分自身が抱く感情が、ユウゴ以外の人に向ける感情とは違うものなのだという自覚はあった。
 ユウゴの手が大きいことに気付いたのは、私の心に余裕が出来てからではないかと思う。
 触れたいと思うようになったのも、もっと色々な話をしたいと思うようになったのも、見たことのない表情を引き出したいと思うようになったのも、全部。
 砂の大地に、水が湧いたようだった。生きるために感情なんて必要ないと思っていた私が、私自身の突然の変化に大いに戸惑ったのは記憶に新しい。
 好きだ、と言われた私が、それを受け入れるのに然したる時間は掛からなかった。そして、これまでとの関係が大きく変わった、ということもない。強いて言うなら、触れていいのかと悩むことが少なくなったり、仕事や将来のこと以外を話す機会が増えたり、まだ見たことのない彼の表情を見つけては密かに喜んでいたり、と変化はあった。
 手を繋ぎたいと、思うことはある。腕輪が邪魔をして、どちらの手もそのささやかな願いを叶えてくれそうにはないけれど。
 夢を見るくらい、してもいいじゃない。
「突然どうした?」
 ユウゴが不思議そうな顔をして、俯く私をのぞき込んだ。突拍子もない私の行動の、その意図をはかりかねているようだった。
「手を、繋ぎたいの」
 重ねた手の、指先だけを握り込む。彼の手がこんなにも骨張っていることを、私はずっと知らなかった。神機を持ち続けて部分的に分厚くなった皮膚は、手袋の上からでもはっきりとわかる。これは、私や私たちを今まで守ってきてくれた手だった。
 指を動かして、鏡合わせのようにそれを絡めた。親指以外の四本の指だけを、交差するように重ね合わせる。ユウゴは私にされるがままだ。心なしか笑っているようにも見える。余裕ぶった顔が少し腹立たしい。私は、ユウゴの手の体温を、手袋に遮られていない部分で感じとるだけでこんなにも恥ずかしいと思っているのに。
「あ、」仕返しのつもりでぎゅっと手を握り込むも、腕輪がかつんと金属音を響かせる。手のひらまでの全てを合わせることは出来なかった。
「手ならいくらでも繋げるだろ?」
 ユウゴが手を離して、私の手を包むように握りしめた。いとも簡単に隠されてしまう私の手は、普段じゃ考えられないほどに熱くなっていた。
「違う……そうじゃなくて……」
 きっと顔まで赤いから、私はユウゴから逃げるように顔を逸らした。
 私がしてみたいのは、いわゆる恋人つなぎだった。けれど、それは叶いそうにない。どうしても、両手首に付いた腕輪がその距離を埋めることを許さないのだ。
 もっと小型の腕輪にしてくれればいいのに、と心の中で毒を吐く。腕輪が繋がれなくなってからは、これを邪魔だと思ったことがなかったのに、今ではとっても憎らしい。
「その……恋人つなぎっていうものを、してみたくて……それだけなの」
 その手の繋ぎ方に、こだわる必要はきっとない。今ユウゴがしてくれているみたいに、相手の手を包み込めば距離なんてないも同然になる。
 でも、でも。やっぱり、恋人……だから。一度はしてみたいと思うのだ。
「あー! ユウゴ、おかあさんと手、つないでる! ずるいー!」
 私の葛藤を割り裂いたのは、フィムの快活な声だった。
「羨ましいだろフィム」
 フィムをからかうように、ユウゴが私を抱き寄せた。身長差のせいで、踵が浮かんで不安定だ。突然のことに、私は思わずユウゴに握られていた手を強く握り返してしまった。
「ユウゴ……恥ずかしいからやめて……」
「ユウゴずるい! いじわる! おかあさんをかえして!」
「おいおい、意地悪はないだろ」
 勝ち誇った顔をするユウゴに、フィムも負けじと言い返している。私はそれを仲裁する余裕なんて持ち合わせてはいなかった。羞恥心から来る熱で全身が煮えたぎってしまって、脳はただの役立たずになっている。
 二人の口喧嘩を止めたのは、フィムの後ろからやってきたジークだった。
「はいはーい。そういうのは二人きりのときにしてくれますかぁ? よおフィム、あっちでシュウたちとトランプしようぜ。今日はババ抜き以外の遊び方を教えてやるよ」
「わーい! みんなとトランプー!」
 ジークがフィムの背を軽く押しながら、昇降機に向かっていく。
「おかあさんたちも、いこ?」くるりとフィムが振り向いて、私たちに手を振った。
「フィムが呼んでる。行こうぜ、お母さん?」
 ユウゴが私の体を解放する。地に足がついて、私はほっと胸をなで下ろした。散々人のことを小指に、するりとユウゴの小指が絡められる。
 その横顔は、きれいに赤く染まっていた。

 
 

(20190224/「スカーレットに恋をする」収録作品)