「その首に巻いているものは何か意味があるの?」
ず、と音を立てて飲み込んでしまった紅茶は、ちょうど良い温かさで口内を潤した。
初めて出会った時からずっと着けているよね、とクレアが言う。私とルルは、気まずい表情で黙るしかなかった。
「クレア、これはね」
ルルが何も話さないので、私が話すことになった。AGEにはそれぞれ、所属するミナト別に番号が割り当てられていること。名前を呼ばれることはなく、その番号が私たちの名前であること。……あまり、良い思い出がないのは確かで、僅かに動揺を示してしまったのもそのせいだった。
「データベースを見ると、私たちAGEの項目には数字が書いてあるでしょう? それと同じものが、ここにも書いてあるの」
指先で、首にかかるチョーカーをつまみ上げた。内側が見えるように軽く捲ると、クレアの視線がそこに向かう。ルルも、私に釣られたのか自分の首元をいじっていた。
ここに、存外わかりやすく番号が書かれていることを知ったのは随分と昔のことだ。幼少の好奇心に負けて仲間内で確認しあったことがある。
あのときの仲間は、もうユウゴと私だけになってしまった。緩く掛かっていただけだったチョーカーは、体の成長とともに私の首を締め付けた。仲間が一人いなくなる。その度に増した息苦しさを、これのせいにしたこともある。
「ごめんなさい。あなたたちにとって、嫌な話をさせてしまって……」
「気にしなくて良い。それに、こんなことをしなくてもいいミナトを作るんだからな」
「ルルも、最近ユウゴに似てきた……?」
「ふふっ。そうかもしれないな」
ルルと交わされる冗談の応酬に、クレアが置いてけぼりになっている。これでいい。悲しい思いをする人は、たとえ同情であっても少ない方がきっと良い。私はそう思うのだ。
手の止まっているクレアに、甘いお菓子を差し出した。私が知っているお菓子の中で、一番お気に入りのお菓子だった。
「クレア。本当に、気にしないで。これはね、私が好きで着けたままにしているだけだから。これも私が生きた証だから、捨てずにとっておきたいの」
ルルがしていたみたいに、無意味にチョーカーを弄ぶ。散々振り回されてきた、首輪のようなこれの存在を憎んだ私は、今はもういなかった。
「クレアは、私の番号、知ってる?」
「う、ううん。一度見たきりだったから、覚えてはない、かな」
「なら、これからもずっと……私の番号は覚えないままでいて?」
これは私の一生のお願い。
そう言うと、クレアは少し驚いたような顔をして頷いた。驚いた、とは少し違うかもしれないけれど、私にはそれ以外の言葉で、クレアの表情を説明することは出来なかった。
「この話はこれで終わろう。飲み物が冷めるぞ」
ルルの一言で、その話はお開きになる。冷めた飲み物が美味しくないことを、今の私は知っていた。
◇ ◇ ◇
「もし私が死んだとき、これがあればどんな姿になってもわかるでしょう?」
ルルに話を逸らされたとき、私は、この言葉を飲み込んだのだった。私の中に潜む狂気を、ルルが察してしまったのかもしれない。それでもなにも言わなかったのは、仲間のよしみか。或いは、それこそ私への一種の哀れみだったのかもしれない。
いつも、どこかに死を見ている。それが全くない世界ではないけれど、私は人よりも一段と強く、死を、この視線の先に見ているのだと思う。
例えば、この身に癒着したオラクル細胞によって私がアラガミ化した時だとか。私を私たらしめるものが何一つなくなったとしても、もしこれが残っていたならば、どんな姿になっても私を見つけてもらえるから。
でも、それは呪いにも等しい。だから私は、クレアに自分の番号を知られたくなかったのだ。私のわがままに、優しい彼女を巻き込みたくはなかった。
ルルは、私の考えを見抜いているのだろう。私のわがままの、その本質まで把握されているのかは分からなかったけれど。彼女も、純粋で美しい人だから、出来ればこの黒い感情には微塵も触れさせたくはなかったな。
先刻の会話を思い出しながら、首元のチョーカーをまた触った。私がこれをつけている理由は、本当はもっと別のところにあるのだと、さすがのルルも知らないだろう。
「ぶつかるぞ」
見えないそれをつまんだり、引っ張ったりしながら金属で出来た固い床を歩いていると、ユウゴが私に話しかけてきた。慌ててつま先に力を込める。土とはまた違った感触と音がした。そして私は、ぶつかる寸前でなんとか踏みとどまったのだった。
何か悩み事でもあるのかと聞かれて、私は首を傾げた。悩んでいたわけではないけれど、眉間に皺を寄せている私を見て、そう思ったそうだ。仮にこれを悩み事だと仮定しても、ユウゴにだけは絶対に言えない。それだけは確かだった。
私がこれを外さない本当の理由。その正体。それは、ユウゴに対する私の個人的なわがままに過ぎない。生きた証であることには違いないけれど、それは少々表向きの建前に過ぎないのだった。
もし、私が私でなくなる時が来たら、最初に私を見つけるのは彼であってほしい。だなんて、やっぱり声に出して言えないけれど。どんな姿になっても、私のことを見つけ出してほしい、と願うことくらいは許されるだろうか。私がこの世界から退場したときに、その名残を、彼の腕に残すことは望んでもいいことなのだろうか。
いくら考えたって、正解はない。なら、私は私の心に従おう。
「なんでも、ないわ」
首輪のようなチョーカーから手を離して、私はユウゴに笑みを向けた。
(20190224/「スカーレットに恋をする」収録作品)