「結婚したんだ」
その言葉を、この穴だらけの人生で何度も聞くことが出来るなんて当時の俺は思ってもいなかった。
「おめでとう。俺も嬉しいよ」
そう言って笑うと、俺に結婚の報告をしてくれた男は破顔した。昔に俺が、ゴッドイーターとして戦闘技術を教えた男だった。歳は俺とそう変わらない。彼が見せてくれた女性の写真は、彼によく似た笑い方をしていた。
彼の幸福感は、空気を介して俺に届いた。おおよそ幸せなんて感じたことのなかった俺だけれど、最近は少し、幸せというものが何なのか分かったような気がしている。
ユウゴとミナトを作ってから、早いものでもう十数年が経つ。世界は緩やかな変化を見せていた。さすがの俺達も神機を持つことは止め、様々な人間を迎え入れながら俺達は俺達の生活を維持して生きている。世界中で未だ神機を手に戦場を駆けているゴッドイーターたちへの支援を中心に、俺とユウゴは世界を旅していた。そうして何ヶ月か経ったのちにミナトへと帰ると、誰かが必ず、こうやって報告をくれるのだ。
初めてそのセリフを聞いたのは、自分も良く知る子どもたちによってだった。ショウとフィムだ。まあそれは、フィムによるただのいたずらに過ぎなかったわけだけれど、まさか数年後に、本当に結婚することになるとは夢にも思わなかった。そのあとは同僚だったり、後輩だったり、商売相手だったりと、多種多様な人間が俺にそれを伝えた。もっとも、一番多いのは同僚なのだけれど。
いい傾向だと思った。空気が重くなれば、こういった話題を口にすることもはばかられるものだ。でもこうやって、多くの人がそれを誰かに伝えることが出来るのは、とても、とても幸せなことなのだと思う。
「それで、だ。今年結婚したヤツらで、まとめて式をしようってことになってな」
その式に、お前を呼ぼうと思ってて。
彼が言ったのはそんな言葉だった。いい案だな、と口にしかけた言葉は息に飲み込まれた。そこに俺が招かれるとは思ってなかったからだ。
彼は正規のゴッドイーターだ。かたや、俺はかつて化け物と罵られたAGEである。両腕についている、ほとんど意味の無い腕輪がそれを物語っていた。いや、腕輪がなければ死んでしまうことは知っているけれど。戦闘に出ることがなくなった人間には、やっぱり無意味に映るのだ。
今は、それがどうしたと気楽に言えてしまうほどその確執は解消されていた。しかし、俺達の世代にはやはりどうしても、過去の錆がついてまわるのだ。だから、正規のゴッドイーターである彼や、彼と同じである式のメンバーが、AGEである俺をその式に呼ぶなんてことがあるわけが無い。たとえ師弟の関係だったとしても。そう思っていた。
「旅が忙しいのは分かっているつもりだ。でもお前さえよければ、ぜひ俺達の結婚式に来てくれないか」
優しい目元で笑う彼に、俺は素直に頷いた。
「ありがとう。正直、断られるかと思っていた」
「まさか。俺の方こそ、誘われると思ってなかったからさあ」
はは、と笑いながら握手を交わす。彼が手渡してくれたのは、式の予定が書かれた紙だった。
俺はそれを受け取ろうとした。でも、彼はそれをすぐには手放さなかったのだ。首を傾げて彼を見る。さっきまでのふわふわとした朗らかな空気から一転、彼は神妙な面持ちで少し俯きがちに言葉を切り出した。
「お前は、結婚しないのか」
どきりとしたのは、俺に心当たりがあるからだった。彼にそれがバレたと思ったのだ。
「まず相手がいないしねぇ」
「そうは見えないんだがな……お前、身を固める準備はもうとっくに出来てるんだろ?」
茶化すように答える。それに対する彼のさらなる返答に、俺はほっと胸をなで下ろした。全てがバレたわけではなかったのだ。
俺には好きな人間がいる。そういう意味で好きな相手が、だ。彼は、俺がその人物に片思いしていることを見抜いてそれを言ったのだろう。俺もいい歳だから、そういうことを考えてもいいのだろうけれど、まあそんな簡単な話ではないのだ。俺の話に限っては。
「気持ちだけはね。でも、ほら、今更どうこうなろうなんて俺は全然望んでないよ」
やんわりとその話題を遠ざける。彼はまだ何か言いたそうにしていたけれど、それ以上何も言わなかった。
「そういうわけだから、この日はミナトに滞在出来るようにしてほしいんだけど」
「了解。急ぎの用もないし、たまにはしっかり、自分のミナトを見ておかないとな」
「皆は良くやってくれてるよ。そこまで心配しなくてもいいと思うけど」
「オーナーだからって、それに甘えるわけにはいかないだろ?」
「ユウゴも誘われてるみたいだけど、いいのか行かなくて」
「さすがに急な話だからなあ。予定を調整しても難しいな。悪いが、俺は欠席だな」
「うーん。こればっかりは仕方ないか」
先の話を伝えたユウゴの行動は、迅速さを極めたものだった。仕事の優先順位を即座に見直して、方々への連絡を済ませたユウゴは、あっという間にミナトへの滞在期間を俺に提示してきたのだった。
溜め込むことを止めたデスクは、必要なものが整理されるようになったその卓上は、ユウゴが長年培ってきた事務処理の手際の良さを表しているようにも見える。それでもまだ、貴重な紙が山積みになっている姿は度々見かけるんだけどね。
「ユウゴは、結婚とかしないのか?」
それは特に意味のない質問だった。この数十年間の中ですっかりタイミングを見失ってしまったものだ。それが偶然話題に上がったから思い出しただけの、興味本位からくる軽率な問いかけだった。
恋愛関係は抜きにして、ずっと一緒にいるのならユウゴの傍が一番心地良いのは確かだ。でも俺はユウゴを縛り付けたいわけじゃあない。俺は、単にユウゴの考えが知りたかったんだ。俺がその人生を邪魔してしまわないように、どう生きたいのかを知りたいと、ずっと昔から思っていた。
「まあミナトの運営で手一杯だからな」
与えられた答えは、俺がほしいものではなかった。
「ま、そうだよなあ」
そこから先の会話は、一本の通信によって遮られたまま続くことはなかった。
◇ ◇ ◇
式に参加した、その日の夜のことだ。クリサンセマムを模したミナトのエントランスは、ほどよい緑に溢れていた。こんなミナトにしたいと、その構成を提案したのはユウゴだった。感銘を受けたのがクリサンセマムだっただけあって、そりゃもう面白いくらいそっくりに考えられていたその概要に、ジークたちと共に思わず笑ってしまったんだ。その記憶は、まだ色あせていなかった。
俺たちの商売上必要な機能や、俺たちが旅をするために使っている灰域踏破船との兼ね合いを殆ど考えていないあたり、ユウゴがミナト・クリサンセマムで受けた感動は計り知れないものだったのだろう。そういう俺も、描いていたのはクリサンセマムそのものだったからユウゴのことは言えないんだけどさ。
ああだこうだと議論を重ねながら完成した俺たちのミナトは、それでも驚くほどクリサンセマムに良く似ていた。鮮やかだった強烈な印象は、やっぱりどれだけ時間が経っても心から離れないものなのか、と新しい発見をしたのも良い思い出だった。
懐かしい記憶に思いを馳せながら、エントランスにあるベンチに腰掛けて俺はユウゴを待った。自分たちのミナトに帰ってきた日の夜に、ユウゴをこうやって夜まで待つのはいつものことだった。あれでいて、あいつはミナトに住む子どもたちに好かれている。あんなに悪かった目つきも、重ねた歳によって出来た目尻の皺にいくらか緩和されていた。ずるい、と不満を伝えると「お前の方がよっぽど羨ましいよ。最近はおじさんなんて言われるんだ。お前とそう歳は変わらないはずなのにな」と言われたのだ。どうやら俺がいつまでも童顔で、若く見られていることが羨ましいそうだ。俺はこのせいで、若いから体力があるだろうと見られている節があって正直堪えているんだけどな。そういう苦労があることも忘れないでほしい。
(暇だ……)
少し到着が遅れているのだろうか。ユウゴはまだ現れない。適当に空を仰いでも、見えたのは金属で出来た天井だった。
俺は振り返って植え込みを見た。動かない空を見るくらいなら、俺の体動で揺れる草を眺めている方が、いくらか時間も潰れるというものだ。
季節柄まだ咲かない花が植えられている場所なのか、花はまだ咲いていなかった。このミナトがある場所は寒いし、花を育てるのにはそもそも向いていないのだとは言われたことがある。それでも、花を植えることにしたのは、やはりイルダさんのミナトの影響だ。緑のあるエントランス。これだけは満場一致で決定したくらいなのだから。
しばらくじっと葉の形を眺めていると、後方からユウゴの声がした。
「悪い。あいつらが中々解放してくれなくてよ」
「そうだと思った。オーナーは大変だねぇ」
俺はくるりと振り向いて、少しばかりベンチの端へと寄った。とんとんとベンチを指先で小突くと、ユウゴは俺が示したその場所に座った。空いていた空間が埋められて、少し温かくなったような気がする。
「式はどうだった」
「とてもよかったよ。なんていうか、その、幸せって感じがとてもよかった」
ひとつの区切りなのだと思う。俺たちがミナトを設立したときと同じように、区切りを付けることで気持ちに張りが出る。そういうものなのだと思った。幸せを他人にも分け与えることが出来るっていうのは、俺たちとは少し違うかもしれないけれど、それでも、本質は恐らく同じものだ。
俺の分析めいた感想を、ユウゴは静かに、真剣に聞いていた。そんなに真面目に聞かれると思っていなかったから、最後の方はあまり上手く話せなかったけど、ユウゴも俺が感じた幸せをいくらばかりか理解してくれたようで柔和な相づちを繰り返していた。
おしゃべりになってしまった俺は、その話が終わる頃にはすっかり体温が上がってしまっていた。こんなにずっと話し続けたことは早々ない。俺のその姿が珍しかったのか、ユウゴは満足げに俺の頭を撫でた。
「そんなに楽しかったなら、やっぱり俺も行けばよかったか」
「おいユウゴ……俺の歳のこと忘れてない?」
「悪い悪い。クセは直らないもんだよな」
「直す気なんてないのによく言うよ……」
少々じゃれあうように言葉を交わす。その間もユウゴは俺の頭を触っていた。
「お前は……。結婚とか、考えてないのか」
俺の髪を指先でいじりながら、ユウゴは俺がこの間言ったみたいに軽々と質問を投げつけてきた。こいつにとっては特に意味の無い、流れに沿っただけの質問なのかもしれないけれど、俺はいささか心臓のペースを乱す。
やられた。あの時のユウゴも、案外こんな気持ちだったのかもしれない。そう考えると、してやられた感が悔しいところもある。
「まあ、特には。一人のほうが気楽でいいし」
というか、ユウゴ以外の人間がずっと傍にいるなんて考えられないし。その言葉はさすがにいかがなものかと思って飲み込んだ。それはそれとして、目立つ立場になってしまったまま舞台から未だに降りることが出来ていない以上、そんなことをすればさらに目立ってしまうことは安易に想像出来た。それは、さすがに面倒がすぎる。
「そうか。ならいい相手が現れるまでは、俺と一緒にミナトの運営を手伝ってくれよな。こう見えてかなり人手不足なんだ」
「知ってるよ。苦手だって散々言ったのに、俺も手伝ってるくらいだからなぁ」
それも案外楽しいけど。と本心を伝えると、ユウゴは少々寂しそうな目で俺を見た。
あ、いま何か言うのを止めたな。ユウゴの心理を無意識に読み取った俺は、それを隠すために下唇を噛んだ。隠し事が下手になったなと笑ってやりたい気持ちだったが、どうやらそんな雰囲気でもない。
ここにはない夜を映す、黒い瞳が印象的だった。そう何度も印象づけられるような存在が、この世界にあるものか。そんな風に思っていた十代の頃の自分に教えてやりたいくらいだった。長い付き合いになれば、こういうこともあるのだと。
「ハハ、助かる。……ずっとそうだといいんだけどな」
「言われなくても、ずっとそうなるよ。俺に、他に好きな人間が出来るまではさ」
そう伝えると、ユウゴは安心したような顔で笑った。ああなんだ、ユウゴも俺と同じなのかもしれない。ユウゴも、分かりやすくなったなあと思う。丸くなったのか?
何にせよ、持て余していた感応能力を使いこなせるようになった俺に、隠し事なんて出来ないのだ。それに、関係が変わらないことは決して不幸なんかじゃない。特に俺たちみたいな、伝えるタイミングを逃してしまった人間には、ちょうどいい距離感である時もある。もちろん、それが大きな壁になることも多いのは確かだった。身をもって経験したのだから間違いない。
そんな色々なものを乗り越えて、それでも何だかんだで一緒にいて、隣にいるのが当たり前になったまま変わらなくて。こんな状態で他に好きな人間なんて出来るわけがないし、これから先もそんな見込みはない。言葉にはしないけれど、それくらいの強い意志を込めた目で、俺はユウゴを見た。
「なら、俺が好きなやつに告白されるまでよろしく頼む」
「告白される前提なのおかしくないか? ユウゴが告白しなよ」
「いまさら出来るかよ」
「俺だって、いまさら出来るわけないんだって」
くすくすと笑う俺たちの様子は、昔に比べれば随分と落ち着いたものになった。歳を取ったものだ、と感慨に耽ってしまうのも仕方がない。風も星もない。ロマンチックの欠片もない。
笑い声だけが響いている、静かで優しい夜だった。
(20190312)
お題は診断メーカーさんです(以下原文↓)
カドマの15主♂のお話は
「結婚したんだ」という台詞で始まり「静かで優しい夜だった」で終わります。
#こんなお話いかがですか
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