こわさを壊して

 
 

 目を閉じると世界が眠る。眠るのは殺風景で無秩序な世界だけだ。俺はその睡眠からはじき出されて、眠れない夜を過ごしていた。
 昼間に対峙したアラガミの咆哮が、耳にこびりついて離れない。きゅっと握りしめたボロボロの布きれは、繋がれた腕輪に引っかかって小さく乾いた音を立てた。
 薄目を開けて手元を見ると、穴だらけの布にはまた新しい穴が空いていた。そのせいか、なんだか酷く虚しくなる。見るのも嫌になって、ぎゅっと目を閉じた。どうして俺は生きているんだとか、今日死ぬべきはあの子じゃなくて俺だったんじゃないのかとか。普段なら考えることのないようなところまで思考が進む。これが俺の本心なのか、それとも単に疲労感から来る一時的なものなのかは判断出来なかった。とにかく、破れて出来た布の穴から今まで溜め込んでいたものが全部流れ出ていくみたいな感覚だった。
 指先が凍える。全身が震える。噛み合わない歯がかちかちと鳴りそうだったから、俺は必死に奥歯を噛んだ。それでも震えは止みそうにない。
「大丈夫か」
 ユウゴか、と頭では分かっていても俺はそれに返事をすることが出来なかった。なぜか目を開けることすら恐ろしくなっていて、声を出すのも怖かった。
「そっちへ行く、待ってろ」
 背中の先にいるユウゴに向かって弱い力でふるふると首を横に振ると、ユウゴはそれだけ言って俺が寝る場所の隣に陣取った。
「寒いと思ってたんだよな」
 背中合わせの状態で、俺はユウゴの独り言を聞いていた。くっついた背中は俺よりも温かくて、そして広かった。なんだよ、いつの間にか俺より大きくなっちゃってさあ。
 腕よりはいくらか自由のきく、疲れて重たい足でユウゴに触れた。腕を絡めるみたいに足を重ねて、そろりそろりと控えめに何度かそれを繰り返した。ユウゴは、あれから何も言わずに俺の行動に付き合っていた。
「なんにも怖いことなんてねえよ」
 しばらくして、ユウゴがそう言った。俺は少し驚いたけど、うなずくだけに留めた。ユウゴがそれに気付いたかは分からない。けれども、俺は一言も怖いだなんて言ってないから、声に出して肯定するのも少し違う気がしたのだ。
 ず、と鼻を啜る。体の震えは止まっていた。耳障りだったアラガミの音は、布ずれの音に上書きされている。強く噛みしめていた奥歯は力が抜けて、口は少量の唾液で潤っていた。
 視界はぼんやりと世界の形を捉えていた。闇に沈んだ冷たい世界が、鉄格子の先、扉の向こう、果ては地平線まで続いていることを嫌でも想像したけれど、それに恐怖を感じる心はなかった。死にたいな、と首をもたげた恐ろしい感情は、とっくに灰域での生き物みたいに消えていた。ユウゴはこうやって、いつも俺を引きずり上げる。
「俺とお前がいるんだからな。怖いものなんてないさ」
 小声で吐かれたユウゴの独り言を最後に、俺は体を少し丸めて布に包まりなおした。
 そっと目を閉じる。今度はちゃんと、眠る世界に俺も受け入れてもらえるような気がしていた。
 ――まるでユウゴが自分自身に言い聞かせているみたいだったことには、気付かないふりをしてやるんだ。

 
 

(20190502)