夏の暑い日だった。夏だから暑くないわけがないのだが、轟はその日が一等暑かったことを記憶している。それ以外は、本当にどこにでもあるような平々凡々な夏休みの一幕だった。
夏休みの宿題が。一学期の成績が。寮ではそんなことばかりが話題になっていた。次点で家に帰るか否か。轟の答えは今のところノーだった。
誰かがコンビニに行こうと言い出したことも覚えているが、誰が言ったのかまでは記憶に無い。轟はわりと、そういう集団行動に興味が無かった。だから当然、誘われなければ誰かと共に寮の外に出るなんてこともなかっただろう。それにしても、人間ここまで変わるものかと、自身の心境の変化を他人事のように驚きながら轟は外出届の上でペンを走らせた。記すのはもちろん自分の名前だ。
集団で出した外出申請書の束の中には、緑谷のものもあったらしい。それに気付いたのは校門をくぐってすぐの頃だった。強い夏の日差しがアスファルトを焼く中、轟は緑谷の隣に立って皆とともに歩き出した。
「緑谷ずりい! 轟の隣はじゃんけんするべきだろ!」
「外じゃ個性使えねえんだ。隣に来たって意味ねえし、人間クーラー扱いするなら部屋の温度上げにいくぞ」
「待てって! 冗談じゃん! な!?」
「はは……今のは上鳴くんが悪いよ……」
轟は自分がこんな冗談を言う人間になるとは思っていなかった。それも含めて、この高校に入学してよかったと思っている。太陽は轟のそんな晴れ晴れとした心を上回る勢いで、今年の最高気温を叩きだしていた。
外で個性は使えないと自分から言ったくせに、轟はちゃっかり右側から冷気を出した。夏はいつもこうして過ごしてきたから、それをしない選択肢は元々なかったのである。無論、単純に氷を出すよりも繊細な扱いになるので、どうしようもなく疲れ果てたときのために冷房器具も欠かせない。だが冷房なんてものが無いアスファルトのサウナ地帯では、轟が個性を使ってしまうのも仕方がないと言える。だれにも迷惑を掛けていないし、バレなければ問題ない。万が一誰かがそれに気付いても、みんなありがたがって共犯者になるのだからバレるはずもないのである。というのが轟の人生経験からくる見解だ。
「轟くん……個性使ってるでしょ」
というわけで、例に漏れず緑谷が轟のその不正に気付いた。帰り道での話だ。暑い暑いと唸る先頭の集団を後ろから眺めながら、緑谷がこっそりと言った。目に痛いくらいの夏の猛攻を受けても、微量の汗が控えめに滲むだけなのだから当然だろう。
心なしか、コンビニで買ったアイスの溶ける速度も遅い気がする。アイスの買い食いなんてしたことも無かったが、緑谷がそう言うのだからそうなのだろうと思った。緑谷と同じ味のアイスを食べながら、轟は言う。
「バレるか」
「バレるよ。涼しいし」
「いいだろ、涼しいなら」
「上鳴くんにだけはバレちゃダメだよ」
「そんなヘマはしねえ。緑谷こそ、誰にも言うなよ」
「言わないよ。でも今年の夏は暑いからなあ、」
緑谷がそこで言葉を切る。前を向いていた轟は、不思議に思って緑谷の方を見た。
「涼しくないと、誰かに言っちゃうかも」
ニヤリと笑う緑谷に、轟もニヤリと笑みを返した。そういえば緑谷は、けっこう抜け目がないタイプだったなと思い出す。そういうところも大好きだ。改めて気付かされてしまった。
「共犯だな」
「ヒーロー志望だからそれは勘弁してほしいんだけど」
「まんざらでもないだろ」
「まあ、君と一緒なら別にいいかなとは思うけど。でもそれはやだ」
だから早くヒーローになろうよ。緑谷がそんな当たり前のことをどこか思い詰めた様子で口にしたから、轟は何も言わずに緑谷の左手を握りしめた。
今のところ、二人はまだ共犯者だ。
(20190530)