無意識の言葉

 

 

 夏休み。月に一度の登校日が終わり、生徒も数人しか残っていない教室でゆっくりと帰り支度をしていると、ベロニカとセーニャが僕の机を取り囲んでこう言った。
「夏祭りに行きましょう」と。
 みんなでバイトや学校の予定を合わせて、ここのお祭りなら行けるんじゃない、と八月の末のとある港の夏祭りに集まることになった。髪型はどうするとか何時に家に集合だとか、かわいらしい会話が聞こえてくる。女の子たちの話は聞いてて飽きないなぁと笑みがこぼれる。
「イレブン! ちゃんと聞いてるの?」
「シルビアさんの家で髪型と着付けをしてもらうんだよね。僕は母さんに送ってもらえるか聞いてみるよ」
「ええ。シルビアさんがどうしても夜は都合がつかないそうですので……。すみませんが、お願いしますね。マルティナさんとカミュさんにはこちらから集合時間を伝えておきますわ」
 じゃあまた祭りでね。とベロニカたちは教室から出て行く。話、ちゃんと聞いててよかった。ベロニカは突然話を振ってくるから油断できない。姉妹の息の合った連携プレーにも圧倒されることばかりだ。僕の帰り支度がまだ完成していないうちに月末の予定が決まってしまった。最後に携帯を手に持って席を立つ。教室にはまだちらほらとクラスメイトが話に花を咲かせている。
 校門をくぐったあたりで、携帯がメッセージの通知を知らせた。ベロニカからだ。アプリを開いた僕はこのあと、急いで帰宅し母さんに相談することになる。
『祭りは和装で来てよね。約束よ!』
 僕は和服なんて持ってすらいないのに!

 祭りの話と服の話を母さんに相談すると、母さんはとても快く了承してくれた。高校になって僕が友達と遊びに外に出かけることが多くなったのが嬉しいと、ショッピングモールに向かう車の中で話してくれた。せっかくだから着物の専門店で買いましょうかと連れられて、母さんは今店員さんと話し込んでいるみたいだ。季節柄、女性の浴衣が大々的に宣伝されている。僕が着るなら甚平だろう。男性もののそれは色も紺や黒が主流で、女の子とは違って選びやすい。
「あなたなら浴衣もお似合いだと思いますよ」
「男の人も浴衣ってあるんですね」
「そうですね。最近は浴衣を選ぶ男性も増えてきていますから、不自然ではありませんよ」
 店員さんに促されるままに少し手前のコーナーに足を運ぶ。そこで僕は心を奪われるのだった。
 縹色の流水文様が涼しげな浴衣。水の流れる様を模した柄を取り入れた浴衣から視線が離せなくなるのはなぜだろう。僕はこれが運命の出会いのような気すらしていた。それと同じくして、既視感が僕の胸を掴む。僕は母さんを見た。わかりきっている答えを期待して。
「好きなものを選びなさい。せっかくの夏祭りなんだから」
 曇りのない、僕のことを一番に想ってくれる母さんの笑顔と目が合った。

 祭り当日。僕はベロニカとセーニャを迎えに行くために早めに母さんに浴衣を着付けてもらった。僕を話してくれなかったこの浴衣を着れる今日を、ひそかに楽しみにしていた。一緒に購入した黄朽葉色の帯を合わせて、下駄を履く。初めての感覚に舞い上がってしまう。
「まあ! とてもきれいな浴衣ですね、お姉さま!」
「そうねセーニャ。甚平じゃなくて浴衣でくるなんて思ってはなかったけど、やっぱりあなた、なんでも似合うわね」
 そういう彼女たちも今日はベロニカが緑、セーニャが赤を基調とした浴衣を着ていて不思議な気分になる。結われた髪に添えられた花が華やかなふたりを一層きれいにしてくれていた。
 見送りにはシルビアさんが出てきてくれて「イレブンちゃん! とっても素敵な浴衣ね! ちょっと髪いじらせてくれない?」と手早く僕の髪を慣れた手つきで編みこんで送り出してくれた。耳元で囁かれたことは、僕にはよくわからなかったけれど。
待ち合わせの場所にはもうカミュたちも来ていて、僕たちを見つけだしてくれた。ベロニカはふたりにも和装で来てほしいと伝えたのだろう。マルティナもポニーテールの髪をかんざしでまとめていて、きっと見つけ出してくれなかったらわからないほどに別人だと思った。女の人ってすごい。対してカミュはいつもの髪型に甚平姿で、少しほっとした。カミュまで別人みたいにかっこよくなってしまっていたら、僕はこの場にいられないかもしれない。
(カミュがいつもと違うと、ドキドキするのはなんだろう……)
 安堵感とは裏腹に、心臓は僕自身にも聞こえる音で鼓動を刻む。祭りの喧騒が遠ざかるほどだ。女の子たちの自撮り大会が始まっても僕はカミュに声をかけられないでいた。
「おい、ベロニカ。オレとイレブンは花火の場所取りに行ってくるから、これで焼きそば買っといてくれ」
「仕方ないわね。その代わり、いい場所取ってきなさいよ」
 カミュの声が僕の隣で発せられていることに気づいて、我に返る。セーニャたちは屋台の方へと歩いて行った。行くか、と促されて手を引かれる。なんでも穴場があるんだとか。提灯の明かりから外れて、暗がりへと導くカミュが握る手の力がだんだんと強くなるのを感じていた。
「カミュ、歩くの早いよ……っ」
「イレブンさ、なんでそんな恰好で来たんだよ」
 僕の呼びかけに反応して振り返ったカミュ。なんでって、なんでってよくわからない。気圧されている僕はなにが彼をこうさせているのかわからなかった。答えない僕の答えを、カミュは待っている。なにかを言いたそうにしているようにも見えた。
僕は何を話せばいい?
 混乱の中で浮かんだのは、見送ってくれたときのシルビアの言葉だった。
『言葉にしないと伝わらないわよ、がんばってね』
 なぜかそれがストンと落ちてきて、僕の唇を動かしてくれた。
「祭りにみんなで行くって決まってから僕、母さんと一緒に甚平を見に行ったんだ。和服なんて持ってなかったからさ。それでお店に行ったらなんでかこの浴衣が好きになっちゃって……青色がきれいだったんだ。その、……カミュだと思って……」
 そうだ。僕はこの浴衣を見たときにカミュを思いだした。既視感の正体は彼だったのだ。この浴衣にカミュの姿を重ねて、これを身に纏う今日という日を楽しみにしていた。これを着ている僕を見て、カミュが何を言ってくれるのかも想像した。僕はどうしてこんなにカミュのことばかり考えているのだろう。これじゃまるで――。
「……それって、告白だと思っていいんだよな?」
 余裕がなかったように見えたカミュの瞳は、すがるような視線を僕に送っていた。これは告白。僕なりの告白だったのかもしれない。僕は一度だけうなずいた。カミュは握っていた僕の手を使って僕を引き寄せた。今までの静寂を打ち破るように、カミュは僕を抱きしめて幸せだとありがとうを繰り返した。

 カミュが言っていた穴場の見物場所は、人もおらず女の子たちに大変好評だった。三人から数メートル離れた場所で、僕らは二人並んで立っている。
「甚平着てくると思ったから正直びっくりしたし、髪もいつもそのままのクセに今日に限っていじってくるし、最近やたら青色の服や小物使うし、好きなやつでも出来たんだと思ってた。今日途中でその好きなやつと会うのかって考えたらどうしたらいいかわからなくなった」
 花火の音を聴きながら、カミュはそう語った。髪型はたまたまシルビアにいじられただけなんだけどね。と上を見ながら僕は返す。
「でも服や小物は、全部カミュのせいだよ」
 僕の赤い顔は、カミュにばれていないだろうか。ああ恥ずかしい。言葉って恥ずかしい。
 ちらりと彼を見やる。花火の光でカミュの顔は赤みを帯びている。
「責任とるわ」
 そのセリフを言ったときのカミュの顔がどんな表情をしていたのか、言葉を紡ぐ口を塞がれて僕は表現できなくなってしまったのだった。

 
 

(20170827)
(20180225:大幅に加筆修正し個人誌になりました)