夏日を終え、真夏日を越えて、季節はすっかり秋である。アスファルトを照らす日光は、相変わらず僕らを容赦なく攻撃してくるが、家に入ってしまえばなんのその。冷房が僕たちを救ってくれるのだった。まだ葉も色づいていない、そんな秋のことである。
僕とカミュは学校での授業を終えて、ふたりで並んで家に帰った。二人で、カミュの家にである。世間一般でいうところの「おうちデート」らしいそれは、僕らが恋人として夏前に付き合い始めてから初のことだった。
僕の学校の先輩であるカミュと、後輩で平凡で、これといった特徴もなく接点もない僕がどうして付き合うことになったのかは、恥ずかしいのであまり話さないことにするけど、言うなれば僕は一目惚れに近い感覚だったのかもしれない。だってテストの期間になると、彼はいつも図書室に現れて、真剣な顔で勉強しているのだ。男の僕から見て、その様になる姿は憧れの対象になっていた。一年前の春のことである。
それから僕は毎回、テストの期間になると図書室に通い詰めるようになってしまったのだ。顔がバレないように丸いレンズの眼鏡まで掛けて。そんなこと続けていたら、冬についにカミュに声を掛けられてしまって。問題が分からずにぶつぶつとつぶやいていた声が彼にも聞こえていたらしく、気の毒になったそうだ。
そこから僕らは図書室で一緒に勉強するようになって、何度か遊ぶようになり、そして件の夏になり、今に至る。まだキスもしたことがないけれど。
「ここがオレの部屋。妹も今日はうちにいるが、まあここには来ねぇから気にせず自由にくつろいでくれよな」
鞄をベッド付近に置いたカミュに見習って、僕も隣に鞄を降ろす。カミュの言葉に僕はうなずいた。かけたままの眼鏡が僕の鼻から少しずれる。
気づいた方もいると思うけれど、言わないで。実は僕、カミュのことをレンズ越しに見続けたせいなのか、彼の前で眼鏡を外せないんだ。外そうと試みたこともあるんだけど、素顔を見られることにとても緊張してしまって……。カミュは僕は目が悪いから眼鏡をかけているんだと思っていると思う。申し訳ないけれど、僕が眼鏡を外せない以上、そう思っていてもらうことにした。優しいカミュに嘘を吐くのは、本当に申し訳ないのだけれど。
「あ、これがこの間話してた本だけどよ。イレブンにやるよ」
僕が鞄を降ろして床にあった大きいクッションに身を沈めていると、本棚からカミュが一冊の本を僕に手渡してくれる。彼が差し出してくれたハードカバーの本は、僕が家の近所の書店をはしごしても見つけられなかった本だった。
「あ……! カミュすごいね! この本どこにもなかったのに!」
「読書の秋ってことで本屋の前にコーナーが出来てたんだよ。そこにあっただけだぜ」
感動のままに僕はその本を受け取って、ぱらぱらとページを捲った。家に帰ったらすぐに読もう。
「ありがとうカミュ!」
「ははっ、こっちが嬉しくなるような顔しやがって」
カミュは僕の頭をくしゃくしゃと撫でた。幸せだ。ずっと読みたかった本が手に入った喜びと、それを他でもないカミュが僕のためにくれたという事実が、最上級の幸せで僕を満たしてくれた。僕は本を鞄に大切にしまうことにした。
「じゃあ本も渡したし、オレは下から飲みもの持ってくっからちょっと待っててくれ」
そう言ってカミュは一階へ降りていった。すぐに帰ってくるんだろうなと思ったけれど、十分経っても戻ってこない。そわそわと落ち着かない気分を落ち着かせるために、僕はさっき受け取った本を少しばかり読むことにした。
どれくらい時間が過ぎただろう。十数ページほど進んだ物語から僕は目を離して、重く感じていた眼鏡を取った。疲れた目を少しこする。ガチャ、と嫌な音がした。
部屋の入口にはカミュがいて、茫然と立っていた。お盆にお茶をのせたまま、僕の顔を見ている。なにかおかしいだろうか、と感じると同時に、僕は自分の手の中にあるいつもの眼鏡に気が付いた。どうしよう。眼鏡をしていない。
「イレブン、おまえそれ、」
「見ないで!」
クッションに顔をうずめる。恥ずかしい。どうしよう。見られてしまった。そんな思いばかりが僕の頭をぐるぐると回っていた。机にお盆を置く音がする。カミュが近づいてきている。今すぐ逃げ出してしまいたいくらいに、僕は後悔していた。
「顔上げろとは言わねえからそのまま聞いてくれ。まずなイレブン。戻るのが遅くなって悪かった。下でマヤに引き留められたんだよ。それから、オレはオマエが眼鏡をかけ続けている理由はわからなかったが、目が悪くないのは知ってた。いつかわけを話してくれるだろうと高を括っていたオレが悪かったんだ。こんな理由でかけてるんじゃないかも知れないけどな、イレブン。おまえはもっと自分に自信を持っていい」
一度でいいからイレブンの素顔を見せてくれ。
カミュの告白を暗闇の中で聞いていた僕は、カミュの方に顔を向けた。そこには心配してくれる彼の、泣きそうな顔があって。僕はふふっ、となんだか笑ってしまった。笑うなよとカミュは顔を赤く染めていく。
「ちがうよ、カミュに笑ってるんじゃないよ。僕、こんなに君を不安にさせてたんだなあって思って」
確かに、僕は自分に自信がなかったのだ。かっこいいカミュの隣にいる自信がなくて、覆い隠してくれるレンズに逃げていた。でも彼はそれすらも見抜いていて。
これが面白くないはずがない。僕の笑い声はだんだん大きくなって、カミュもそんな僕を見てつられて笑いだした。
「おうちデートってすごいなあ」
二人でクッションに背を預けて、僕はぽつりとつぶやく。カミュはなにも言わずに僕を抱きしめてくれた。
そんなおうちデートの時間が、彼と外に出かけるデートよりも、僕はただただ愛おしいと感じていた。
(20170903/第3回カミュ主ワンライ「〇〇の秋」)