【2】
突如始まったセリフ合わせを終えて、僕たちは帰路についていた。最後の数分だけ違う道を通ってそれぞれの家へと帰る、二人のいつもの帰り道は、コンビニの明かりや飲食店の看板の蛍光灯に照らされている。
校内で最も遅くまで活動していた運動部と一緒に、先生に校門から追い出されてからまだそれほど時間は経っていない。それでも授業が終わってから三時間はゆうに過ぎていて、さらに言うなら昼食から六時間は経過している。僕のお腹はもうぺこぺこだ。
「カミュ……お腹すいた……」
「帰ったら晩ごはんあるんだろ?」
「そうだけど、家まで遠い……もう無理、ファミレス行こうよカミュ」
「あーもうわかったから腕を引っ張るなイレブン! 行きたいなら早くおばさんに連絡入れろよっ」
「やった! すぐに連絡するね!」
カミュの腕から手を離した僕はすぐに携帯を取り出して母さんに連絡を入れた。ラッキーなことに晩ごはんはまだメニューも考えてないという返事が来て、僕は小さくガッツポーズをした。『じゃあカミュと一緒にごはんを食べてから帰ります』と送った文章への返信を確認してから、僕はカミュの方へ向き直る。
「おばさんは良いって言ってたか?」
「うん。晩ごはんのメニュー、まだ決まってなかったんだって。じゃあもう食べてきてって言われたよ」
「ははっ。おばさんらしいな」
大通りの雑踏に、カミュの短い笑い声が混じる。僕の耳はそれを聞き漏らさないように、真剣に音を拾っていた。
「じゃあ、どこへ行こうか」
「そうだな……」
ふたりで何が食べたいだとか、お金は足りるのかだとかを話し合って、五分もしないうちに店は決まった。止めていた足をふたり一緒に前に出して歩きだす。
金曜日というだけあって、お店の中は人でごったがえしていた。それでも混雑しているという印象はない。画一的に区切られたファミレスとは違い、ゆったりと取られたテーブルがそう思わせるのだろうか。
少しだけ順番を待って、僕たちの番が来た。ソファの後ろが壁になっていて、通路とはレースカーテンで仕切られた、個室みたいな席に案内される。恋人同士ならうってつけの席なんだろうけれど、あいにく僕らはそんな関係じゃない。僕はできれば、そうなりたいと思っているけれど、カミュは僕と同じ気持ちのはずがないのだ。関係の進展は絶望的と言ってもいい。
「ほら、早く座ろうぜイレブン。腹へってんだろ」
一足早くカミュが中へ入っていった。僕も促されるままカミュの向かいに座る。
「なに食べよう……お腹すいてるのにどれもおいしそうで決められないや」
「イレブンって時々優柔不断になるよな」
渡されたグラスの水を飲みながら僕が言ったことに、カミュは笑った。変なところでガンコになるのにな。そうまで言われては黙っておけない。
「そんなことないよもう! 僕このオムライスにするから!」
カミュも早く決めてよ、と軽く急かすと、飄々とした態度でたくさんのメニューの中からさらりと「これにするわ」と言い放つのだ。こうも年上の余裕を出されてしまっては、僕は太刀打ちできない。いやまあ、そもそも惚れてる時点でかなわないんだけれども。
料理が届くまでの間に軽く今後の予定を合わせた。そのあとは、近所のネコが木から降りられなくなっただとか、コンビニで新作のポテチが出るんだけど、それが中々のゲテモノじゃないかっていう噂だとか、先輩の(カミュにとっては後輩の)恋愛事情だとか、その場かぎりで終わってしまう話題ばかり話していた。
この時間が続けばいいのに。過ぎていく時間に、口の中に入れた飴玉が小さく溶けていく様とおなじ寂しさを感じていた。空腹感すらも忘れてしまいそうになっていたところに、外から「失礼します」と声がかかった。スタッフさんの姿を認めるのとほぼ同時に、カーテンが開く。明るくなったライトの光に、一瞬だけ目を細めた。
「わ……!」
コト、と目の前にやってきたオムライスに、思わず声をもらす。鳴くのを忘れていたお腹がぐぅと鳴った。その音を皮切りに、僕はオレンジ色のトマトソースの海に浮かぶ黄色い島にスプーンを突き立て、惜しまずに削っていく。カミュの前にも、デミグラスソースのたっぷりかかったハンバーグが置かれていた。
「イレブン」
ふいにカミュが僕の名前を呼んだ。口に入れたオムライスを咀嚼してちょうど次の分を口へ運んだ時だった。
今日の会話の中で、いやもしかすると今までのカミュとの関係の中で、聞いたこともないような真剣な声色だった。
「食べながらでいい。聞かなくてもいい」
僕はあくまでも彼の言うとおりに努めようと、なんでもないようなふりをする。スプーンを握る力を強めて、ぎこちない動作で料理を掬った。
「お前のことが、好きなんだ」
僕は今まさに口へと運ばれかけていたスプーンを空中で止めて、カミュを見た。あんぐりと開けた口を慌てて閉じる。
「悪い、今のは忘れて――」
「僕も!」
忘れるなんてできないよ。
「ぼくも……カミュと同じだから……」
急いでスプーンを置いて、前のめりになりながら勢いに任せて放った言葉をしぼませる。たったの数分。数分だけ僕らは無言でいた。無言でいなければならなかったのかもしれない。僕も、カミュも、食べきっていない夕食をひたすら口に入れていった。
僕の胸中は穏やかではなかった。形容できない気持ちは、ピンクのようなオレンジのような、まだ混ざりきらないマーブル状の絵の具のようだった。
僕もカミュも料理を食べ終えてしまって、さあこれからどうするのが正解なのかわからない沈黙を、破ったのはカミュの方だった。
「こっち、座るか」
空いてるからさ、とかばんを避けて作った空白のスペースを、カミュがぽんぽんと叩く。僕はおずおずとカミュの隣に座りなおした。心臓が破裂してしまいそうだ。
「オレと、一緒なんだよな」
よそ見もせず僕を見つめる瞳に応えるべく、僕はひとつ、頷いた。それを合図にカミュの腕が、僕の視界の両側を遮る。左右を失くして正面だけになった視界をさらに狭めるように、カミュがこちらに近付いてきた。
「触れても……いいんだよな」
カミュの瞳は照明が遮られ翳ってもなお、きらきらと光っていた。吸い込まれそうな宝石に、僕は例外なく取り込まれた。
(あ、これは)
キスだ。本の中で何度も見たそれだ。そう思った時にはもう、カミュとの距離はゼロに近いほど埋められていた。ふに、とした感触を身に受ける。触れるだけだった唇が気持ちよくて、思わずぺろりと舐めた。
「ふふっ、ハンバーグの味」
目を丸くしたカミュを見れたのは、僕が顔を離した一瞬だけで、秒と経たないうちにまた僕らの距離は無くなっていた。
「オレはオムライスだわ」
離れていった唇を目で追った。自分のそれを舌でなぞるカミュに、僕はまた見惚れている。
まだ始まったばかりの恋の話だ。
(20170909:カミュ主版ワンドロワンライ「眼鏡」)
(20180114発行の個人誌にてタイトル修正し加筆)