いわし「現パロで、ダラダラしているカミュ主ください」
ふたりとも社会に出て働くようになり、同じ家に住んでいるというのに顔を合わせることは少なくなった。年の差はどう頑張っても埋められず、イレブンが学生だった頃の方がまだしっかりとお互いの顔を見ていた気がする。数年早く社会に出たカミュは、既に何人もの後輩を育てる先輩になっていて、イレブンより早く家を出ては、イレブンより遅く帰ってくることが増えてきた。たまにしか囲まなくなってしまった食卓で後輩や上司のことばかり話すカミュのことを、イレブンはどこか遠い存在になってしまったと感じていた。
イレブンもイレブンで、心身ともにストレスにさらされた体を休めようとする本能には抗えず、毎日夢も見ずに眠るのだ。そしておはようも言えないまま、毎朝テーブルに置かれている朝食を食べる。朝日に満ちたリビングにカミュが散りばめていく、様々な名残に寂しさを覚えていたころが懐かしい。なにかにつけて二人で過ごしていた日々は、もう思い出に変わりつつあるのだろう。きっとこれからも、ふたりで暮らし始めた頃の新鮮さは薄れて、見るもの全てが色褪せていく。それにすら、寂しさを感じなくなる時がいつか来るのだろうか。
イレブンは珍しく心を取り戻したかのように感傷に浸っていた。食べ終わった二人分の食器を洗いながら時計を見る。そろそろ準備をしなければ。
カミュが作ってくれた、きっと中身は同じメニューの弁当箱をかばんに入れようとして、イレブンは手を止めた。
『今日は早めに帰る』
そう記されていた、弁当箱に添えられていた簡素なメモをしっかりと握って、夜にやってくる、何日ぶりかのふたりの時間を楽しみにイレブンは玄関をくぐった。
◇ ◇ ◇
定時に近付くにつれて、イレブンはちらちらと時計を気にしていた。もうすぐ、もうすぐだ。仕事は全て片付けた。あとは長針が真上に来るのを待つだけである。そわそわと落ち着きのないイレブンは、定時になっていの一番に職場を出た。
街灯と照明で明るい道の人混みを、早足で抜けていく。カミュはもう家に着いているだろうか。期待に胸を躍らせていたイレブンが、はた、と足を止めた。
「いつもは二人で何をして過ごしていたんだっけ……」
同じ時間を長く過ごすことがあまりに久々で、記憶も薄れている。きっかけがないとうまく話せなさそうな気がしていた。ケーキでも買って帰ろうか。いや、ケーキ屋はもう店じまいをしてしまっている。それに、ケーキのために夕食を控えめにするなんて、イレブンには出来そうになかった。
そんな中、目に留まったのがレンタルショップだった。旧作百円の文字が大きく主張している。DVDなら気軽に話を持っていけるんじゃないだろうか、といじらしい下心に釣られて、イレブンはその店に入って行った。何を借りようかなと、口元に手を当てて思案する。一番に目に入った、恋愛ものは恥ずかしいから却下した。ホラー映画は眠れなくなってしまうからだめだと、これも却下した。ああでもないこうでもないを繰り返して、イレブンがレジに持って行ったのは動物の、感動ものの映画だった。
さあこれで大丈夫。イレブンは再度帰路に就いた。
「おかえりイレブン。今日は遅かったんだな」
イレブンが玄関を開けると、芳ばしい香りが家中に広がっていた。少し遅れてカミュが出迎えてくれる。それだけで幸福感に包まれる。思わず涙が出てしまいそうだった。こんな光景、いつ以来だろう。
「どうした?」
「……ううん、なんでもないよ。ただいま、カミュ!」
カミュは不思議そうな表情をしたが、元気そうなイレブンを見て本当になんでもないのだろうと判断した。リビングに向かうイレブンに続いて、カミュも夕食の仕上げに戻る。嬉しそうなイレブンの姿を見て、カミュがこれからはもう少し早く帰ろうと心に決めたのは、イレブンには知る由もないことである。
イレブンは色の付いたひとときを見ていた。カミュが作ってくれた夕食を、ふたりで向かい合って食べる。いつも一人で料理をしては、これから帰ってくるカミュのために皿に取り分け、ラップをかけて冷蔵庫にいれていた毎日が、一瞬で塗り替えられる美味しさであった。
食べ終えた食器を洗って、風呂に入って、ここからが本番である。イレブンは意気込んだ。かばんから例のDVDを出して、テレビに向かってソファに腰かけているカミュを見る。見計らったかのようにカミュが振り向いた。
「イレブンもこっち来いよ……って、なんか借りてきたのか」
「えっ、と、そうだ、よ、」
動物の映画、と段々としぼんでいく声を、カミュはなんとか聞き取った。
「明日は休みだから、今から見ようぜ」
「あ、僕も! 明日お休みなんだ」
反射で伝えた返事に、カミュは「知ってるに決まってんだろ」と笑って返した。イレブンはもうこれ以上ないくらいにきらきらと目を輝かせて、手に持っていたDVDを再生した。必死になって吟味したものだけれど、この際内容はなんでもいい。イレブンはとにかくカミュのそばに寄りたくて、間を詰めて左に座った。せっかくだから暗くしようと、映画館気分で電気を消した。テレビの光だけが互いの表情を確認するための明かりになる。心細さは、どこにもなかった。
映画も半ばを過ぎた頃、カミュはイレブンの肩に手を回した。イレブンは驚いて、映画の世界から少しばかり現実に引き戻される。そのまま引き寄せられて、体温が触れ合った。石鹸の香りがする距離まで迫ったのは数えるほどしかないのではないか。そんな風に、どこか冷静になっていたイレブンはちらりとカミュを見たが、彼がなにも言わないので、そのまま身をゆだねることにした。
体重すらも彼に預けて、暗闇にちかちかと光るテレビに視線を戻す。テレビに注がれていた集中は、カミュの鼓動を聞くことに移ってしまっていた。
(20171004:いわしの日にいわしちゃんへプレゼントしました)