【3】
最初に視界に入ったのは、清潔感のある白だった。次いでクリーム色のカーテンが目に入る。数個の点滴がオレに繋がっているのを確認して、ここは病院であると認識した。掃除をしてももう取れないだろう天井の染みを意味もなく見つめながら、オレは脳をフルに回転させた。けれどもどうしてこんなところで、こんなことになっているのか、オレには皆目見当もつかなかった。
あの列車に乗ってから、何時間経っただろうか。目を覚ましたオレは、全ての記憶を取り戻していた。いや、むしろ今までオレはなんにも忘れちゃいなかったのだ。その事実が、オレをひどく混乱させている。体は、動かそうにも指先一本も言うことを聞いちゃくれない。
あれこれ思案しているうちに、看護師がやってきた。いつもこうしていたのだろう。俺のもとにやってきた看護師の目と、開いているオレの目と目が合った。驚きの色を示した看護師は持っていた体温計を落とす。
「誰か! 誰かドクターを呼んで! カミュさんが目を覚ましました!」
そこからは怒涛の一日だった。医者の診察を受けて検査をして、今の体の状態を聞いて。それ以外は、あまり細かいことは覚えていない。
オレはまた少し眠って、看護師の声で目を覚ました。
夢は、一瞬たりとも見なかった。
固形物での食事は難しいだろうということで、今日はまだ点滴で栄養を摂るらしい。それもそうだろう。唇ですらまともに動かせない今の体が、食べ物を噛んで飲み込むなんて高度な芸当、出来るわけがない。
「明日から少しずつ体を動かしていきましょうね」
身の回りの世話をしてくれている看護師にオレは尋ねた。はくはくと息の抜ける喉を動かして、ようやく声を出す。
今は何年で、何月の何日なのか。オレはどうしてこんなことになっているのか。そして、オレのことを探しに来た人物はいなかったか。
自分ですら聞き取りにくいそれを、聞き取ってくれた看護師はこう言った。
「もう少し元気になってからお話しようと思っていたんですけれど……やっぱり気になりますよね」
影を落とした表情が気になったが、その理由を問う前に彼女は話し出す。
五年前。フリーのジャーナリストだったオレは、あるオカルト記事を書くために取材へと出かけていったらしい。数日連絡がつかなかったオレは、なんの変哲もなく健康な体で自宅に戻ってきた。二日ほど、取材に行く前と変わらない様子で過ごしていたオレは、三日目の朝に自宅で意識を失って倒れているところを発見されたそうだ。そしてそのまま、この病院に運び込まれて以来今日まで、オレは五年間眠り続けていたのだと聞かされた。
「それから、倒れていたあなたを見つけた男の方が、五年間毎日のようにあなたの見舞いに来ていたんですが、二日ほど前にこれを置いて行ったきり姿を見ていないんです」
彼女は引き出しから、一通の手紙と一冊の本取りだした。『カミュが起きたら渡してください。』そう言ってイレブンは帰っていったのだと言う。
「急にどうされたのですかとお尋ねしたのですが『ちょっと遠くまで出かけるので、しばらくここに来られないんです』と話されたので、私はなにも不思議に思わずに、もしカミュさんが起きたらお伝えしますと言ったんです」
イレブンの挙動はいつも見舞いに来るときと変わらなかったようで、むしろいつも以上に落ち着いていたようにも見えたそうだ。しばらく来られないと言うだけあって、着替えや日用品を多めに持ってきてくれたのだと、看護師は話した。
手紙の内容が知りたくて、オレは彼女に手紙を読んでくれと頼んだ。けれど彼女は、これはイレブンからオレに宛てた手紙なのだからと言いながら、手紙の封を切って、便箋をオレの目の前に持ってきた。オレはその便箋に書かれている、懐かしさを感じてしまうほど見る期間が開いてしまった、きれいとはいえ男らしいその文字を目で追った。