すっかり履きなれた靴が、今日もしっかりと僕の足に馴染んでいる。オーブを割った時の痺れるような衝撃は、どれだけ時間が経ってもまだ腕に残っていた。邪神を倒しても、仲間を救っても、一生消えることはないだろう。大げさでもなんでもなく、僕はそう思っていた。
現に今、あの感覚を忘れられずにいる。
「なあ、成人の儀式ってどんなのなんだ」
カミュのその言葉に心臓が弾かれる。体中に響き渡るような、どくりと重たい音だった。
「ええと……十六になったら神の岩に登って、そこで見たものを村長に伝えるんだよ」
「そこには何があるんだ?」
「なに、って、そうだなあ……きれいな景色はあるかな」
質問攻めにされて、僕は少し戸惑う。カミュにその話をしたのは、オーブを割る前夜だったはずだ。それにこちらの世界で儀式の話を口にしたのも、カミュと出会ってすぐの、焼き払われたイシの村を見て僕が泣いた、あの時だけのはずだった。少なくとも、僕はそう記憶している。そんな昔のことを、カミュが思い出して聞いてくることなんてあるのだろうか。様々な考えが交錯して、まとまらない。どうしてそんなに儀式のことが気になるのか、僕には想像がつかなかった。
「見に行こうぜ、その景色」
「えっ、ちょっと待って……!」
手を引かれ、つまずきそうになった。村を駆け抜けて自分をさらうカミュの姿が、あの前夜に砦から岩のふもとまで、カミュの手を引いた自分に似ている気がした。
(まさか、そんな)
なけなしの希望は、この世界に降り立つ寸前に置いてきた。自分の心を守るためだった。思い出の中のカミュにも、時を超えた先で出会うカミュにも、すがることのないように。自分ひとりで立って歩けるように。そんな戒めをこめて、邪神を倒すところまで進んできた。はずだったのだ。少なくとも、今日までは。
「どうしたのカミュ、急に、もう」
カミュは何も言わずに、僕の手を握る力を強めた。歩く速度も少しばかり速くなる。足音と心臓が、トクトクと同調していた。
「僕は、二度と……!」
そこから先の言葉を、僕は口に出すことが出来なかった。募りに募った期待が、もし、もし万が一、外れてしまったら。そう思うと、到底確信を突く言葉をカミュに投げかけることが出来なかったのだ。
頂上が見えてくる。あの時は感じられなかった朝日のやわらかさが身に降り注いでいた。
二度とここには来ないと思っていた。カミュとのあの前夜の景色を、最後の美しい思い出として残しておくつもりだったのだ。
二度とカミュがここで交わした約束を、思い出すことはないと思っていた。それが今、覆されようとしているのだと、とうの昔に動かすことをやめた心を揺さぶられる。
「かみゅ、もしかして……キミは……」
まばゆい光が僕の目を刺した。明順応で眩み立ち止まった体は、カミュの腕を引き留めた。
ぱちぱちとまばたきをする。カミュの手はもう大丈夫だと言わんばかりに、ゆっくりと離れていく。
はっきりと見えた、明るい世界にはカミュがいた。
光を乱反射する海面。
透きとおったクリアな空。
向こう側の大陸に見える木々の蒼さ。
「な、イレブン。別れるなんて決めなくてよかっただろ?」
そのどれよりも綺麗な青を持つ、僕の大好きな人。
振り返ったカミュは、勝ち誇ったような明るい笑みを僕に向けていた。それを見ればもう、鬱々とした、肩にずっと乗っていたなにかがストンと落ちていった。嘘のように体が軽い。腕の痺れるような重みは、すっかりと消え去っていた。
「カミュ……全部思い出したの……?」
僕の質問に、カミュは「ああ」と肯定を示した。それだけで、僕の心臓が嬉しさに締め付けられる。
とても、心地の良い息苦しさだった。
「ばか。おそいよ、カミュ」
すい、と彼の左手が僕の右目を掠める。目尻に溜まった涙が、カミュの手袋に吸い込まれていった。
「待たせて、ごめんな」
光の世界の下で、カミュが僕に触れている。抱きしめてくれている。夢じゃないぞ、と囁くカミュの声が、僕の体にじんわりと広がっていた。
(2018年1月28日発行のカミュ主アンソロジー「僕らの冒険の書」に参加させていただきました)