【2】
気付けば、俺はユウゴを好きだった。いつから好きだったんだとかは、あまり聞かないでほしい。聞かれるのが恥ずかしいわけじゃなくて、いつ好きになったのか、自分でもよく分かっていないから答えられないのだ。
あの牢獄に居た時か? 違う、あの時はそんな余裕なんてなかったし、余裕があればそうなるというわけでもないだろ、絶対。
なら、この船に乗った後か。その可能性は高いだろうけど、生活水準が上がればそんな感情を持つだなんて、因果関係の破綻も甚だしい。
いくら考えてもこんな調子なので、俺は考えるのを止めたんだ。男が男を好きになったことは特になんとも思っていない。なによりも大事なのは、俺がユウゴに恋愛感情を抱いてしまっていることだった。
いくらずっと一緒に過ごしてきたからって、俺なんかに好意を寄せられるなんてどんな気分なのだろうか。それを考えると、どうしてもマイナス思考の答えしか思い浮かばなかった。そして俺の心は、その答えが恐らく正しいと俺に囁くのだ。
俺は、今の関係を変えたくはなかった。だって、昔からの絆で結ばれていて、背中を預け合うことが出来て、未来の話をして……うん、今が一番最高の関係だよな、これ。ここに恋愛感情が入り込む余地はないように見える。それは俺たちの将来にとって、邪魔な障害にしかならなさそうだと判断出来た。
となれば、俺がすることは一つだった。この感情は、俺が死ぬまで俺の中で抱えておくこと。俺は今の関係を壊したくない。ユウゴとは遠慮無く笑い合っていたい。邪で醜い、この感情を知られたくなかった。こんな風に取り繕うけど、要するに俺は、境界線の先へ踏み出すのが怖いんだ。
そしたら俺は、世界に取り残されてしまった。変わることを恐れるあまり、俺の秒針だけ止まってしまったのだと思う。それじゃあ短針も長針も動くわけがない。なのにユウゴのことを好きな気持ちだけがどんどん溢れてしまって、ついに抱えきれなくなったんだ。
真夜中に目を覚ますようになったのは、そんな頃だった。
昔話を含めるなら、深夜に目が覚めるのはよくある話だった。けれどこの船に来てからは、朝まで目を開けることなく眠れていたんだ。だから俺は、夜の恐ろしさをすっかり忘れていた。途方もない虚無が、しじまに紛れ込んでいるようだった。それは心を映す深淵と一緒に、俺をそこへと誘っているのだ。それが恐ろしくもあり、けれどその時の俺はどこか心地よさも感じていた。
昔なら、体を丸めて布きれ同然のボロい布団に包まって、朝が来るのを怯えながら待っていただろう。明日で命が終わるかもしれない。怖いと叫びたくなる悲鳴を飲み込んで生きてきた毎日は、決して夢なんかじゃなかった。泥水をすすっていたあの時間は、一生忘れられないだろう。幸いにも、一生の傷にはならずに済みそうだった。それだけが救いかもしれない。
そんな夜の恐怖が胸をざわつかせる。それを押し殺して、俺はその新鮮な心地よさが待つ闇に身を乗り出した。世界には、俺一人なのかもしれないと錯覚するような静けさに、抱えきれなくなった好きを少しずつちぎって放り投げると、幾分か胸のつっかえが取れた気がしたのだ。そうして味を占めてしまった俺は、時折深夜に目を開けて、それとない理由もつけて、ふらふらと船内を彷徨うようになる。
この頃の真夜中のルーチングは、中々に厄介なことになっていた。あの夜以来、感情の抑えがきかないのだ。ユウゴの顔を見ると、どうしてもその肌に触れたくなってしまう自分がいる。そして本当に厄介なのは、それを制することが出来ずに触れてしまう、己の自制心の弱さだった。
一連の流れの最後に、ユウゴの寝顔を見つめる。今日も少し、眉間に皺が寄っていた。俺は、今日はその喉元に唇を軽く押しつけてキスをした。昨日は頬で、その前日は額だった。もうここんところ毎日だ。いつかユウゴが目を覚ますんじゃないかとひやひやしているのに、俺は強い感情に引っ張られてどうしてもそれを止められない。そして本当に、本当に馬鹿なことをしている自覚はあるのだが、離れる前にどうしても、唇にもキスをしてしまうのだった。
「……どうやったら、お前の隣にずっといられるかなぁ。俺、こんなだし。鬼神だなんて、名前負けもいいとこだし。夢はあるけど、ユウゴの理想に比べればちっぽけでくだらないもんだし。戦うことしか取り柄がないし、なんかもう必死なんだよなぁ。お前は俺のことを追いかけているのかもしんないけど、背中を追ってるのは俺のほうなんだから、もう少しゆっくり歩いてくれよ。お願いだから、俺を、」
その後に続く言葉は、声にならなかった。俺を置いていかないでくれ。俺を助けてくれ。俺を好きになってくれ。伝えたかったのは、一体どれなんだろう。一度悩んでしまうと、どれも正解じゃあない気がした。そして俺は、最終的にその先を言葉にするのを止めた。
「――好きだ、よ」
なんだかんだで、本人に伝えたのは初めてだった。当の本人は寝ているけどね。
返事はない。ユウゴは目覚めない。それでいいのだが、寂しさは募る一方だった。規則正しく上下する胸の動きを眺めて、ようやく俺はその場を離れて自分のベッドに戻る。冷え切った布団に身を震わせて、けれどそれしか暖を取る手段がないからそこに包まるのだった。
こんなことはもう止めようと誓っても、きっと、明日も目を覚ます。俺の秒針は進まない。
寂しさと愛を抱えすぎた俺は、その重さに身動きが取れなくなってしまっていたのだ。