たましいのいちばんおいしいところ - 3/3

 
 
【3】

「たましいって、おいしい?」
 また突拍子もないことをフィムが言い始めた。学校に行くようになってから、一体どこでそんな言葉を覚えてくるんだと驚かされる。
「魂が何か、フィムは知ってるのかな?」
 からかうように聞き返す。我ながら大人げないとは思うが、出題がまず難しすぎるので出来れば諦めてもらいたいところだ。
「フィム、しってるよ-! えとね、おそらのほしになるの! きょうかしょのおはなしにあったよ」
「そ、そうなんだ」
「おほしさまは、ちょっとしょっぱくて、でも、おいしいんだって。だから、たましいもおいしいかなぁ」
「どうだろうね。フィムは、魂を食べたいのかな?」
「たべてみたいー!」
 さすがはヒト型アラガミと言うべきなのか。食欲旺盛だなあと遠くを見る。こんな時、ユウゴならなんて答えたのだろうか。俺はどうがんばっても、気の利いた答えをフィムに出してやることは出来そうになかった。
 小さな瞳が俺を見つめる。フィムに合せてしゃがんだので、今は同じ高さにあった。そのせいもあって、至近距離でその異様さを目の当たりにしてしまうこととなる。
「おとうさんのたましいの、いちばんおいしいところ、しりたいな」
 俺の両手を取ってニコニコと笑うフィムに、俺は苦笑いしか返せなかったのだった。

「それで、お前の魂で一番旨いのはどの部分なんだ?」
「は?」
 俺の向かいでベッドに座るユウゴにその話をしたのは、そんなことを聞かれるためじゃない。何言ってんの、と引きつった顔で返すと、同じ言葉で質問された。わざわざ椅子に腰掛けたのは、そんなワケの分からない会話をするためじゃないぞ。
「勉強しすぎでおかしくなったか? ミッション行っとくか?」
 冗談まじりにユウゴの顔の前で手を振ると、真面目な顔してはねのけられた。
「俺は正気だ。純粋に、なんて答えたのか知りたいだけだよ」
「なんだ、そういうことね。俺はずるいから、答えを出さなかったよ。フィムが俺の魂を食べたときに、一番美味しかったところを教えてくれとは言ったけど」
 フィムは意味が分かっているのかいないのか「わかった!」と元気よく返事をして俺の元から離れていったのだ。興味が他に移ったらしく、子どもたちと追いかけっこをしているのが目に入った。俺の後ろから離れて過ごすことが増えたフィムに少し寂しさを感じつつも、俺は素直にその成長を喜んでいた。戻っては来なさそうだとフィムを見届けて、俺は部屋に戻ってきたのだ。
 そしたら、ユウゴがいた。俺が部屋を出ていた間に戻ってきたのだろう。いつものベッドに寝転んでいたユウゴは、俺が入ってくるなりその体を起こして扉の方を向いた。「なんだ、お前か」と少し眠そうに呟いたので「起こしちゃったか、わりぃな」と声を掛けた。「いいや、大丈夫さ」と言ったきり言葉が途切れたので、また寝るのだろうと思っていた俺はそれに返事をしなかった。けれど、やけに視線を感じたので俺は振り向いたのだ。
 ユウゴはベッドに腰掛けて俺を見ていた。「寝ないの?」と聞くと「ちょっとうたた寝しちまってただけだからな」と返された。目は依然として俺を見ていたので、何か用でもあるのだろうかと俺はユウゴが座るベッドの前の椅子に座ったのが、事の始まりだ。
「なら、俺の魂で一番旨いのはどこだ?」
 その双眸は真剣そのものだった。どう考えても冗談だとしか思えない質問が、あのユウゴの口から出てくるのがおかしくて仕方が無い。かといって、笑い飛ばせるような空気でもなかった。
「……なに。今日本気でおかしくねえ?」
「いいや、俺は正気だよ」
 怪訝な目を向けても、ユウゴの態度は一貫したまま変わらなかった。真面目な話なのか? と疑い深く睨む俺に、呆れたのかしびれを切らしたのか、ユウゴが無言で手を差し出した。その関連性が全く分からなかったので、俺は疑問符を浮かべたまま腰を上げて、その手を取ってみたのだった。ぐいっと強くその腕を引かれた俺は、特に抵抗もしなかったのでユウゴの座るベッドに顔から突っ込む羽目になってしまった。頭打っちゃうだろ! 今日のユウゴは何なんだ、いたずらっ子か?
 俺、何かしたっけな。色々考えたけど、思い当たる失敗はなかった。それよりも、布団からするユウゴの匂いに、ぶわりと顔が熱くなるのを感じたのだ。
(うわ、やばいやばいやばい)
 慌てて仰向けになった俺は、そこで人生の終わりを感じた。俺を囲うように、ユウゴの両腕が俺の顔の真横に置かれていたのだ。照明の光を遮って、ユウゴが俺を見下ろしていた。俺は何も制限されていないのにその威圧感だけで身動きが取れなくなる。
 終わった。何かはさっぱり分からないが、俺はユウゴの逆鱗に触れたのだ。
「俺の魂の一番旨いところ。毎日のように食べてんだから、答えられるだろ?」
「は、え、おま……知ってたのかよ!?」
 その質問に、俺は目を見開いて叫んだ。嘘だ、絶対寝てただろ!
「知ってたってか、夢かと思ってたんだが」
「カマ掛けたな!?」
「まあ、そんなところだな」
 してやったりの表情に腹が立つ。手の平で転がされているのがありありと分かった。
「……いつ気付いたわけ?」
「一週間前、か? お前が俺の喉にキスをした日だ」
 よりにもよってその日かよ、と唇を噛む。いっそ舌を噛みちぎってしまいたいほどだった。一週間、コイツは狸寝入りをしていたわけだ。そして一週間、俺は滑稽な姿をコイツに晒していたわけだ。
 穴があるなら入りたい。今すぐ目の前から立ち去りたい。だが逃げようにも、でかい図体のコイツが邪魔をして逃げられない。足の間に膝を入れるなんて、逃がす気更々無いだろ! この鬼!
(いやいや待て待て、鬼は俺だったか)
 そんな呑気なことを言っている場合じゃあない。
「もしかして、あれ、全部、聞いて、」
「聞いてたかもな」
「そこまで言うなら一思いにはっきり言ってくれよぉ……」
「悪い悪い。どうしても、直接聞きたくてな」
 抱えているものを、全部言うまで離れないと宣言される。この光景を誰かに見られたくなければ、一刻も早くそれを吐き出せと言うのだ。俺が死ぬまで抱えていようとしているものを、己に渡せと言っている。そんなの、今さら無理に決まってるだろ、と訴えても、ユウゴは聞く耳を持っていなかった。
「なんで、今日はそんなに強情なワケ?」
「さあ? 誰かさんが、人が寝ている間にズルいことをするからだったり」
「……絶対に言わない」
「なら言うまでこのままだな」
「、諦めの悪い……!」
 ギリ、と奥歯を噛みながら発した声は、ユウゴの唇に遮られた。熱くて柔らかい、湿り気を帯びた舌が俺の唇を割って入ってくる。無味だったキスは、全く、全然、無味なんかじゃなくて。
 俺はそのとき初めて、ユウゴの舌の味を知ったのだ。
「ん、ぅ、――っは、ぁ……おま、え、」
「諦めが悪いのは、一体どっちだろうな」
 ユウゴがペロリと自身の上唇を舐めた。さっきまで俺の口の中を食べていたあの舌で、だ。
 ずい、と再度近づいてきた顔を両手で押し返した。口元を塞ぐと、意地が悪いユウゴはその手をべろりと舐めやがった。手の平を生暖かい舌が這う。ぞわりとしたけど、この手を避けるわけにはいかなかった。そうすれば、今度こそ確実に息の根を止められる。そんな予感がしたのだ。
「分かった、言う、言うから」
 そうなれば、もう俺が観念するしかなかった。
 今から話すことは、聞かなかったことにしてほしいんだけど。と前置きする。
「俺、ずっとお前の隣にいたいわけよ。ユウゴと肩を並べてさ、ユウゴの隣に立つのに恥じない人間になりたいわけ。そんなのは見栄えのいい建前で、本音はとても醜いんだよ。どこにも行かないで、ずっと、俺の隣にいてほしいと思ってるくらいには、俺が持ってるこの感情は綺麗でもなんでもない。お前にそれを知られたら、もう今までみたいには出来ない。ユウゴは器用だから何とも思わないかもしんないけど、生憎俺は不器用一辺倒だし。俺はお前との今の関係を変えたくないの」
 だから、これ以上は言わない。
 俺がそう宣言すると、ユウゴは不満だらけの目で俺を睨んだ。もう勘弁してくれよ、と泣きつきたくなる。泣きついたところで、今のユウゴは許してくれそうにないけれど。
 俺が本当にこれ以上話すつもりがないのを悟ったようで、渋々といった表情で俺の前から引いていく。ようやく起き上がることが出来た俺は、もう話すことはないと言外に伝えるような強い口調で、ユウゴに言った。
「それから。キスは好きなやつとするもんなんだろ。こんなことに、使うな」
 まだあのキスの余韻が抜けないせいで、体温が一点に集中していく。思い出すだけでこの有様だ。己の視線が勝手にユウゴの口元を追いかけてしまうのを、必死の思いで制した。泣きそうになっていた俺は、ぎりぎりのところで涙をこぼさずに耐えている。唐突に与えられたキスに、喜怒哀楽を乱されてしまっていた。
 何のために俺が隠してきたと思ってるんだ。そう怒りたくなって、ただの八つ当たりだなと思いなおした。隠してきたのは変化を恐れた自分のためで、決してユウゴのためではなかったからだ。重い荷物を抱えて動けなくなっていた俺は、ユウゴに無理矢理その荷物を取られて、秒針を進めなければいけなくなったのだと悟った。
「そういうことだから、そろそろ解放してもらっていい? 今の話は全部、なかったことにしてよ」
 いまだに俺の前を阻んでいる、ユウゴの胸板を押した。
 ユウゴは、俺の前からどいちゃくれなかった。石のように固まってしまって動かなかったのだ。
「ユウゴ?」
 なら、と、ユウゴが声を絞る。先程までの余裕はうかがえない。
「なら、俺も好きだと言えばいいのか?」
 そうすれば、お前も俺に好きだと言ってくれるのか?
 そう言われて、俺は面食らってしまった。
「ユウゴ、俺のこと、好きなの?」
「好きでもないやつに、キスなんかするかよ」
 そう言って、ユウゴは俺を抱きしめた。こんな力、どこに隠してたんだと言ってやりたくなるような強い力だ。苦しい、と腕輪で腰の辺りを小突くと、少しだけその力が弱まった。
 俺は。
 ユウゴも、俺を好きなのか。と。俺は妙に落ち着いた思考でその言葉を咀嚼していた。言葉のひとつひとつが、嘘みたいに甘い。一体いつから、と聞こうとしてやめた。俺もそれを聞かれたくはなかったからだ。
「俺も、まんまお前と同じだよ。お前がどれだけ強くなったって構わないが、最終的には俺の隣に戻ってきてほしいと思ってるわけだ。わかるか? 俺がお前に対して持ってる感情は、お前が考えるよりもずっとどす黒い、呪いみたいなもんなんだよ」
 ああ馬鹿馬鹿しい。お互い隠し合ってただけな上に、俺はちっとも隠せてなんかいなかったってのが、人生で一二を争う笑い話だった。
「あー……ごめん。さっきの話、やっぱり無かったことにしないでもらっても、いい?」
「頼まれたって忘れてやらねえから安心しろ」
 そして、俺たちはもう一度キスをした。たましいの欠片を交換するように、その唇で舌を食む。赤い舌は、ユウゴのたましいの味がした。
 それを知ってしまった俺は、もう他の味を知りたいとは思わなくなったのだった。

 
 

(20190103)