朝起きて、支度をする。今日は全員で朝食を取ると決めている日だった。時計はもうすぐ集合時刻を指そうとしていた。遅刻は確定していると言ってもいい。
(たぶん俺が最後だろうな)
昨日と違う服を着ることにも、最近ようやく慣れてきた。毎朝清潔な衣類に身を包むことが、こんなにも生活のレベルを上げるだなんて思ってもみなかった。
「あれ、まだ食べてなかったの?」
俺が俺が遅刻した時は先に食べ始めておいてくれと、最初に遅刻したときに皆の前で宣言したのは記憶に新しい。(二回目はまだお願い通りにはいかなかったのだけど、三回目には既に、俺が頼んだとおり食事を始めてくれていた。)だからとっくに食べ始めていると思っていた俺は、一切手を付けられていない食事を見て驚いたのだ。
けれど、皆は俺を見て驚いているようだった。顔に何か付いたままか? と頬をペタペタと触ってみるが、何もない。よくよく観察してみると、皆の視線は俺の周辺で何かを探しているようだった。
「……何かあった?」
一番近くにいたエイミーに話しかける。視線だけでは皆が何を探しているのか分からなかったのだ。
「それが、ユウゴさんがまだで……」
エイミーの言葉で、俺はやっと理解した。なるほど、言われてみればユウゴがいない。
「てっきり俺は、お前とユウゴが一緒にくるのかと思ってたぜ」
ジークの言うことも最もかもしれない。俺がユウゴと一緒に来ることはあっても、ユウゴより早くこの場に来ることなんて今までなかったわけだし。
「ただの寝坊ならいいんですけれど、ユウゴさんが寝坊だなんて珍しいので少し心配で」
「いや俺も、ユウゴが寝坊するなんて思ってなかったから、何にも確認せずに出てきちゃった……やばいかな……」
「別にいいんじゃね? そのうちひょっこり来るだろ」
軽いな。軽い。いかにもジークらしい。
けれど、少なくとも昨日は俺と同じ時間に寝たユウゴが、任務で就寝の遅くなったジークたちより眠れていないなんてことは考えにくい。よほど普段の疲れがたまっていたのだろうか。それならそれで、時間の使い方と体力の使い方を改めさせなければいけないかもしれない。俺の仕事じゃあないけれど、ユウゴに倒れられると困るのは事実だ。
「じゃ、寝坊ってことでユウゴの分は俺がーっと」
「ダメだぞ。エイミーのご飯は平等に配られるべきだ」
「げっ、ルル。冗談に決まってんだろ! 俺の皿返せ!」
ルルがジークの皿を奪う。テーブル全体を見渡した俺は、もう二人ほど、この場にいないことに気がついた。
「アインさんは?」
「んあ? あの人なら今朝早くからイルダと話し込んでるみたいだぜ。今日の昼の任務には間に合うって言ってたから、それまで体を慣らしときてえな」
「ああ、それでイルダさんもいないのかあ」
今日こそはぜってー負けねえ! とジークは大声で意気込んだ。朝から元気だなあ。アインさんと何を競っているのかは分からないけれど、おおかた討伐数とかだろう。とてもじゃないけれど、俺はアインさんと競うだなんて出来ない。あの人、強すぎるし。
「クレア。ユウゴこないね」
「ほんとね。起こしに行った方がいいのかな」
フィムとクレアの会話を耳にして、そういえばそうだったと思い直す。皆がまだ朝食を食べていないのは、暫定寝坊のユウゴがこの場に現れないからだった。
「ああ。それなら俺が行ってくるよ。先に食べ始めておいて」
ひらひらと手を振って、俺は来た道を引き返して最初の部屋に戻ったのだった。
部屋に戻って、真っ先にユウゴのベッドを見た。布団は人の形に膨らんでいて、黒と白の髪が枕の上で広がっている。部屋を出るときには全く気付かなかったのだが、ユウゴはそこでしっかりと眠っていた。
「おい。……おい、起きろってば」
規則正しい寝息の主に近づいて、その肩の動きを乱す。多少の揺れでは目を覚まさなかったので、俺はかなり乱暴に揺することになった。
「みんなが心配してる。こういうとき、真面目な人間は大変だな」
うなるばかりで目を開けない幼馴染みに、少し毒を吐いてやる。真面目が大変なのではなく、好意を素直に受け取れない俺自身に問題があるのだけれど(心配されると恥ずかしさが勝ってしまう。だから俺は真面目になれないのだ)一番親しい人物が周囲に心配されているのは単純に嬉しかった。
「お前が来ないから、みんな食べずに待ってたんだぞ。後で謝っておけよなあ」
そこまで声に出したところで、ユウゴがようやく目を開けた。いかにも今起きましたと言わんばかりの据わった目だった。いつもの黒い瞳が、ちらりと俺を見上げたことに少し特別感を味わった。見上げられる機会なんて滅多にないし。
ユウゴはゆっくりと起き上がって、ひとまずベッドから抜け出した。俺はしばらくユウゴの様子を眺めていた。いつか話のネタにしてやろうと目論見を立てていたのだ。
ふらふらと立ち上がったユウゴは、少し後ろに下がった俺に合わせて前に進んだ。眠気の抜けていない気怠そうな目が俺をじっと見ていた。まあもしかすると、俺の目の位置に視線があっただけで、俺のことを見ていたわけではないのかもしれないけれど。
しばらくその目と見つめ合っていたが、ユウゴがその視線を少し右下にずらした。ずっと無言のまま動くユウゴに、こんなに寝起きが悪かったか、と首を捻る。
俺が知っている限りでは、朝から爽やかにおはようと言ってくるくらい、普段のコイツは目覚めの良い人間だったはずだ。やっぱり、かなり疲労がたまっているのだろうか。
仕事の量を減らしてもらうように頼むか? などと真面目に思案したのもつかの間。俺はぎょっと目を見開くことになる。
ユウゴが突然、俺の右肩に顔を埋めてきたのだった。
「……いい匂いだな」
吟味するように、鼻先を軽く擦り付けてくる。くすぐったさに笑ってしまいそうだ。本で見た小動物みたいな仕草をするユウゴに、おかしいやら何やらの色んな感情がこみ上げてきてしまって、俺はそれを堪えるのに精一杯だった。
目が覚めたら笑ってやろう。そうまで思っていたのだけれど、楽観的な思考はそう長くは許されなかった。
「甘くて、うまそうな、いい匂いがする」
皮膚に温かい熱を感じたのは、時間にすれば一瞬に違いない。その一瞬で、俺はつま先から頭のてっぺんまでをユウゴに支配された気がしたのだ。
「ちょ、やめろって……ユウゴ!」
俺はユウゴを容赦なく突き飛ばした。ただの戯れで終わらない、そんな予感が電流のように俺の体を走った。おかげで、俺はその支配から脱したのだった。
右肩に手を当てる。仄かに熱を持っているような感覚が、そこでずっと渦巻いていた。
突き飛ばされてよろめいたユウゴは、今度こそはっきりと目を開いていて、あの間抜けな顔から一変、驚愕に全身を染めていた。驚いたのはこっちだってのに。
「――悪い、顔洗ってくるわ」
ふい、と顔を背けて、ユウゴは足早に部屋を出て行った。俺は熱を持ったままの右肩に手を当てながら、ユウゴを見送った。食事はどうするのだとか、先に行っておくからだとか、当たり障りのない言葉ならいくらでも選べたはずだが、喉がうまく震えない。俺はその場に立ち尽くしてしまった。目的の人物がいなくなったことで、自分が何のためにここに来たのかさえ忘れてしまいそうになる。
もたついているうちに、扉は通路と部屋を再度分断した。少しの機械音ののちに、部屋はしんと静まりかえる。俺が大声でユウゴを怒鳴ったのが嘘みたいだ。
声をかけることは、ついぞ出来ないままだった。