エデン配置にきみがいる - 4/6

 
 
「で、それからユウゴに避けられてるってわけか」
 ジークのその問いに、首を縦に振る。二人して通路の隅でしゃがみ込んで、コソコソと話をしている姿は、端から見れば奇妙な光景だろう。
 また悪巧みを計画していると思われるかもしれない。以前も確かこうしてそれを企んでいたとき――たまたま、偶然、興味がそちらに向いただけのことではあったけれど、いかんせんタイミングが悪かったのだ――クレアに話しかけられて、態度が妙だと詰め寄られ、そしていたずらの計画が頓挫することになったのはそれほど昔の話ではない。
 今は誰の足音も声も聞こえなかった。でも、いつ誰が通るかわからない。再びクレアが俺たちを見れば、今度は問答無用で、角を生やして駆け寄ってくるだろうことは想像に容易い。けれど、俺にとっては今や些細なことだった。
 医務室で、ユウゴとの気まずい空気を味わった末に拒絶されてから、すでに三日が経っていた。三日間、俺はユウゴの言葉を半ば冗談のように受け取っていたせいで、アイツに近づくことこそしなかったけれど、避けるようなこともしなかった。
 なら当然、俺は仕事のために一日の大半をブリッジで過ごしてしまうことになるのだけれど、あれだけ人の出入りが多いブリッジにも関わらず、俺はユウゴにただの一度も出会わなかったのだ。三日間で、一度も。
 出撃で、ちょうど入れ違いになったか。それとも、そもそもブリッジにすら来ていないのか。医務室のベッドからは一晩で離れたらしいが、俺の中でのユウゴの情報は、そこで完全に止まっていた。
 こんなことが今までなかったからだろうか。普段なら全く気にもしないユウゴの行動がやけに気になってしまい、今朝がた一仕事終えた直後に、俺はエイミーに頼み込んでアイツの出撃記録を見せてもらったのだった。
 いくらデスクワーク生活が中心になってきているとはいえ、丸二日の時間、ユウゴが一度も任務に出撃しないなんてことは無に等しい。ただの入れ違いならそれで良し。本当に二日間カンヅメ状態で机にかじりついているならそれも良し。ここのところ少し様子がおかしかったユウゴのことだ。体調が完全に復活しているなら心配もいらないかと、記録を見れば思えるはず、だったのだが。
 結論だけを言えば、記録で分かったのはユウゴが俺を避けているということだけだった。偶然の入れ違いでもなければ、部屋から出てきていないわけでもない。それだけが、はっきりと数字に出ていた。
 ミッションの完遂から、帰投までの時間。通常なら俺が帰還ゲートに到着してから少ししたのちに、ユウゴもそこに到着するはずだと思われる完遂時の時刻。そこから帰投準備に掛かる時間が明らかに長い。
 極めつけはエイミーの「ユウゴさん、前にも増してあなたのことを気にしていましたよ。よほど心配されてるみたいですね」という言葉だ。彼女は気付いていないようだけれど、明らかに、帰還のタイミングを調整するために俺の行動を上手く聞き出されている。大方、それを聞いたあと適当な回収作業を挟んで――もしくはそれっぽい理由を付けての討伐作業を挟んで――といったところだろうか。全くもって嫌になる。こんな時だけユウゴの考えが手に取るように分かるなんてさ。
 胸のあたりが詰まる。少し息苦しさを感じた気がした。ジークに話しかけられたのは、ちょうどその時だ。
「お前らなんかあった?」とジークに聞かれてから話し終えるまで、まだ五分と経っていなかった。なんでもない、と言っても、今日のジークは殊更しつこく、ブリッジから移動したエレベーターが目的の階に着く直前に、俺は根負けして悩みの種になっていたその殆どを、案外あっけなく話してしまったのだった。
「でもそんなにか? 俺、昨日の夜も通路で会って話したけど。普通だったぜ、普通。さすがに調子は良いようには見えなかったけど」
「やめて。俺のハートが粉々になる」
 思い切り殴られたような衝撃が走る。俯いて塞ぎ込んだ俺に、ジークは慌てた様子でフォローを入れた。
「ホントにマジで偶然じゃねえの? って言っても、その記録の話はさすがに違和感? あるよな?」
 声が大きい、と指摘する気力もない。俺だけ避けられていることが裏打ちされてしまったショックに、ますます不安が募った。
「あれさえ見なきゃ、ここまで深刻に考えずに済んだと思うんだよねぇ……避けられるのって、案外つらいのか……」
「元気出せ、って言ったって難しいか。前向きに考えよーぜ。ほら、ユウゴがお前を避ける原因、具体的には分かってねーし。それが分かれば解決したようなモンだろ。な? 他には? アイツ何か言ってなかったのかよ」
「ほかに、か」
 ぐるりと記憶を辿る。思い出したくないせいか、若干おぼろげになりつつあるそれを最初から繰り返すと、ひとつの違和感に行き当たった。
「満月がいつかって。近づくなって言われたのはその後だったな」
 ユウゴの表情が、一段と険しくなったのはその質問に答えた後だった。
「ふぅん……?」
 眉を寄せて、真剣に考えてくれるジークがこんなにも心強いなんて。と思うと同時に、年下の後輩に慰められている自分が情けないとも思う。
「なんかさ、おかしくね?」
 俺がうじうじとマイナス思考ばかり巡らせていると、重い声でジークが呟いた。
「……なにが?」
「いや、なにがって。ユウゴがお前に対して何にも言わねえのもそうだけど、その月の話とか、何の意味もないことをユウゴが聞くなんて思えねー。確か、今日が満月だろ。何かあるんじゃねえの」
 そういえば、たしかに。色々なことがありすぎて綺麗に思考から抜け落ちていたけれど、言われてみれば一際目立つ歪な会話だったように思う。違和感と違和感が繋がらなかったのは、思考が停止していたからか。
「ま、こうやって俺と話してたって何にも解決しねーと思うし。多少強引にでもユウゴを捕まえて聞くしかなくね?」
 すく、と立ち上がるジークに釣られて、俺もその場で立ち上がる。必ずキャラバンに戻るのだから、船内をくまなく探せば見つけ出せるはずだ。眠っていたならたたき起こせと、ジークが俺の背を強く叩く。激励のつもりなのだろうけれど、加減を知らないその衝撃の強さに、うっすらと涙が滲んだ。……嬉し涙なんかじゃないからな。先輩としての威厳は最低限保ちたいところだ。
 決行は今夜。そう頷きあった俺たちだったが、この計画はまたもや頓挫することとなる。
 幾分か軽くなった足取りで、俺たちはミッションカウンターへと向かった。眠るまでの時間を、適当な任務で互いの力量を競いながら潰すためだ。一応、他の神機使いへの指導のための訓練という名目での受注となる。俺とジークは、時折そんな建前で外に出ていたのだった。
 黒色が目立ち始めた空に、丸い月が姿を現していた。薄雲の存在をものともしない、煌々とした光を放つそれについ目を奪われていると、ミッションの事前資料の確認中だったエイミーが、顔を上げて俺に声をかけた。
「体調はもう良くなったんですか? いつも無茶ばかりされるんですから、しっかり休んだほうがいいですよ」
「ありがとうエイミー。でも大丈夫だよ。外に出るのが好きなんだ」
「それ、返事になってねーぞ?」
 まさか。そんなわけないだろ。
 そう返すと、ジークには全身を使って「呆れました」と表現されるのだった。
 ペニーウォートに来た頃から、外の世界が好きになった。データベースに載っている文字だけで、世界を想像することが密かな楽しみになっていたんだ。帰還するのが惜しくなって、わざと戦闘を長引かせて損失を問われたのも、今となっては良い思い出だ。――いや、やっぱり良くはないな。
 出来れば仕事はせずに過ごしたい。けれど、アラガミをなぎ倒すこと以外で外に出られる機会なんて無に等しい。戦わずに過ごしたいが、戦わなければ外にも出られないと気付いた時には、そのジレンマに頭を抱えたものだ。
 けれど、俺たちAGEに限らず一般的なゴッドイーターにも寿命があるのだと聞いたときには、さすがに目を丸くするほかなかった。
 ゴッドイーターには「引退」という一つの区切りがある。「引退したAGE」の存在は聞いたことがないが、死ぬまでAGEとして生きることが当たり前だと思っていた俺たちにとって、その後の人生があることは願ってもない朗報だった。なるべく働こうと、少し考えを改めたのはその話を聞いてからだ。
 人生で、やりたい事はたくさんある。俺が変わったと言うのなら、きっと人生に目標が出来たからに違いなかった。
「ふふ。仕方のないかたですね。ジークさんも一緒に行くなら安心です。……先日はすみませんでした。あれは、私の判断ミスです」
「それは違うよ。俺がしっかり確認しなかったのが一番悪い。だから、そんなに何度も謝らないでよ」
「いえ、いえ、でも」
 涙ぐむエイミーになんて声を掛けたらいいのか分からず、俺はおろおろと狼狽えた。初日にすでに謝ってくれているのにそれからも何度も謝られるものだから、俺は彼女にかなりの心配を掛けたのだとこれでも反省しているのだ。ジークが頻繁に俺に話しかけてくるのも、きっと俺の体調を声色から伺おうとしているからだろう。
「大丈夫、……俺は、まだまだ死ねないからね」
 フィムを残していなくなんてなれないし。そう言うと、エイミーは幾ばくかの安堵を手にしたようで、朝露のような涙を一筋落とすと微笑んだ。
 ターミナルでの支度を終え、あとは出撃ゲートに向かうのみとなった。一足早くそれを済ませた俺は、隣のターミナルと睨み合うジークに声を掛けに行こうとして、その場で振り返った。
 はたりと、それと目が合った。美しく渦巻く、感応レーダーの向こう側。視線をもたげたその先に、その持ち主はいた。
 獰猛で、激越した叫びを上げるその目に、俺は見覚えがあった。戦闘で感情が高ぶった時のそれに近いが、それとは完全に別種であると告げる瞳。その双眸は、俺の姿を認めた瞬間に色を変えた。
 来た道を戻るのか、踵を返して立ち去ろうとするその目の持ち主を、俺は咄嗟に呼び止めた。
「待て、ユウゴ!」
 俺の呼びかけとほぼ同時に、ユウゴは俺から逃げ出した。
「っ、ごめんジーク!」
「あ、おい!」
 まだ状況を飲み込めていないジークを置き去りにして、俺は反射的に駆けだしていた。今しかないと思ったのだ。
 ブリッジを全速力で駆け上がる。金属がやかましく足音を鳴らすことにも構わずに、俺はユウゴを追いかけた。あいつは昇降機の到着を今か今かと待っている。冷静を装っているようで、その実かなり動揺しているのは明らかだった。その逃げ道を使うのは下策だと、いつものユウゴなら咄嗟に判断出来るはずなのに。
 ゆっくりと開いた昇降機の扉に割って入る、ユウゴのその姿には焦りがあった。平静を装い切れていない不自然な動きは、今までで一番大きな違和感をひしひしと訴えてくる。
「ああもう! たまには俺の言うことも聞け!」
 最後にブリッジに響いたのは、俺のそんな怒号だった。と、のちにジークが言った。閉まっていく扉の、狭い隙間から滑り込む。引っかかるような服を着ていなかったことが幸いして、俺はなんとか扉に挟まれずにすんだ。
「なんで俺だけ避けるんだよ!」
 ユウゴの胸ぐらを掴んで、壁に叩きつけたのは失敗だったかもしれない。狭い箱が、ぐらりと大きく揺れた気がした。つい先日、昇降機の中で暴れないようにと注意されたばかりだが、そんなもの、今は守ってる場合じゃない。案の定、昇降機は急停止した。
「あんなの、寝惚けてただけだって言えばいいだろ! 助けてくれたかと思ったら、近づくなって言うし! おれ、もう、お前が何考えてるか分かんねえよ……!」
 ユウゴのことなら何でも分かると思っていた。それが間違いだったのだ。こうも本人から否定と同等の行動を取られると、間違いを受け入れられない己の器の小ささが浮き彫りになるようで嫌だった。真綿で首を絞められているみたいな感覚に、酸素の救いを求める自分がみっともなくて情けない。
「お願いだから、俺から逃げるなよぉ……」
 嗚咽混じりに声を上げる。ユウゴの胸に、縋り付くように額を押しつけた。自分はユウゴがいなければ何も出来ないし、恐ろしいほど弱くなってしまうのだ。それに気づいたのは、一人で調査に赴いたあの日だった。
 それを境に、俺の心は変化した。いや、心を見る角度が変わったのだ。ユウゴに突き放されたときの、胸を裂かれるような痛みが忘れられない。
 俺は、気付いていなかっただけで、ずっとずっと昔からユウゴのことが好きだったのだ。

「近づくなって、言っただろ」
 目を見開いて、顔を上げた。冷気を宿した声が、ユウゴのイメージとあまりにもかけ離れていたからだ。
 まるで獣のようだった。獲物をとらえた、獣のような雰囲気を纏っていたのだ。
 黒に、真紅に近い赤が混ざっている。照明の反射だとは、とてもじゃないけど言い訳出来ない。輪郭を持った異質さが、俺の知っているユウゴの存在を塗りつぶしていくようだった。
 明らかに人間のそれではないそれに、俺は魅せられてしまったのだと思う。体が全く言うことを聞かなくて、指の一本も動かない。
「悪い、もう、」
 ――――限界だ。
 唇はそう囁いた。ユウゴを形作る全てが剥がれ落ちた声だった。現実味のないコマ送りの連続性に、俺の思考が巻き込まれていく。
 ゆっくりと近づくユウゴの赤い舌は、唾液をまとって艶やかだった。唇から覗く歯は、まるで牙のように鋭く尖っている。
 ――――牙? 
「い、っ!」
 俺を意識の表面に引き戻したのは痛みだった。曖昧で夢のような、けれど確かに形のある鋭い痛みだったのだ。
「ふ、っあ……」
 その中に紛れている何かを、俺は無意識に拾い上げようとしていた。
 血が、血が。
 俺の体から無理矢理に奪われていく血が、熱が。何か別のものに代わって俺の中に入り込んでくる。ずるりずるりと引き出されて、ごぼりと押し込められたのは紛れもなく恍惚の感情だった。
 おかしい。俺の体がおかしい。変だ。おかしい。おかしくなる。それを声にしたくても、口から出るのは言葉にもならないか細い声ばかりだった。
 肩に乗る黒髪を、力の入らない手で押し返した。腕輪が頭に当たらないように気を使ってしまったのは、人生で最大のミスだ。
「な、んで、」
 じゅ、と鳴る水音と、俺の弱々しい声が鉄に囲まれた昇降機の中で反響した。それを最後に、あの黒髪が俺のもとから離れていく。
 ――解放されるのを、名残惜しいと思ってしまった。熱に浮かされた自分を、浅ましいと感じていた。俺のことを見ないでほしい。その一心で、離れたユウゴの視線の先を辿る。
 目が合った。合ってしまった。ユウゴは俺を、信じられないものでも見たような瞳で見つめていた。信じられないのは俺の方だってのに。
 やってしまった。不純物の混ざった漆黒の瞳は、そうも言っていた。口元に付いた赤色は、俺がよく目にする赤とそっくりだ。同じものだから、そっくりなのは当たり前なのだけれども。
 蕩ける脳と相反して、やけに冷静に思考していた。けれど俺は、胸の辺りで燻る奇妙な熱に飲み込まれて、それきり気を失ってしまったのだった。