疲れの取れたような取れないような、妙にすっきりとしない気怠さの中で、グレイグは目を覚ました。連続した出勤も今日でようやく最終日だと己を奮い立たせて体を起こす。カーテンを開けて薄靄に包まれた朝日を浴び、グレイグは今日の朝食はなににしようかと考えた。考えながら窓の傍クローゼットにかけてあったスーツに着替えた。背広はまだハンガーにかけたままだ。料理担当のグレイグの、いつもスタイルである。そしてリビングに繋がる自室のドアに近付いた時、グレイグはいつもの朝にはない音をその耳に拾った。
トン、トン、と軽いリズムが聞こえる。少しぎこちないその音は、まだ慣れていないのだとことさらに主張しているようだった。レンジが稼働する音や、油が散る音もかすかに聞こえた。グレイグは珍しくにぎやかな朝の音楽に顔をほころばせて、毎朝見ることのできない彼の姿を見ようとドアノブを回した。
「おはよう、ホメロス」
「……、グレイグ」
「仕事は休みなんだろう? たまにはゆっくり休んだらどうだ?」
「目が覚めた。それだけだ」
ホメロスは目でグレイグの言葉を制した。やれやれといった表情でグレイグは返す。ホメロスは、いつもグレイグがスーツを汚さないためにつけているエプロンを身に着けて、キッチンと格闘していた。部屋着の袖を腕まくりして、これはまた朝風呂をしたなと思わせる水気を帯びた髪を、いつものように後ろでまとめている。この姿はここで共に生活をしている己のみが見られる風景なのだと、グレイグは優越感に浸っていた。
「グレイグ、ここはオレがやっておくから先にそのだらしない顔を整えてこい」
「ああ、わかった。くれぐれもケガには気を付けてくれ」
危なっかしくて緊張するんだ、という言葉を抑えて、グレイグは洗面所に向かった。そう遠くないキッチンから、ホメロスのささやかな怒号が響いている。グレイグはそんな空間が楽しくなって、かと思えば出勤時刻がじわじわと迫ってきていることに肩を落とした。
◇ ◇ ◇
だらしないと言われた顔を整えて、グレイグはキッチンに戻った。先ほどまで殺風景だったテーブルには、ベーコンエッグの乗った食パンが二人分向かい合って並べられていた。「おお」と思わず声に出したグレイグにホメロスが気づくと、すごいだろうと言わんばかりの自慢げな笑みを浮かべて、一足先に椅子に座った。
「早く食べろ。どうだ、感想が聞きたい」
ホメロスが自身の前の椅子を指差す。それに応えてグレイグは向かいに腰かけた。目の前にある、輝く黄身で装飾された朝食に、胃がきゅるりと軽くいななく。じっとその黄色い目玉を眺めているグレイグを、ホメロスもまた、じっと眺めていた。その視線を知ってか否か、グレイグはトーストにかぶりつくと
「うまい……!」
と一言だけ言い放った。その一言が部屋に満ちた瞬間に、ホメロスの瞳が喜びに震えた。そして隠すようにすぐさま自分もトーストを食べ始めると、ごまかすように早口で「当たり前だろう」と静かに呟く。それ以降は無言の時間が、食べ終わるまで続いていた。
「では、行ってくる」
「ああ」
「ホメロス、弁当まで作ってくれてありが、」
「うるさい遅刻するぞはやく行け」
玄関で少々の問答を繰り返す。普段の朝にはないやりとりに、グレイグはやはり内心心地よい気分を感じていた。困ったやつだといいながら、これ以上ないくらいに頬を緩ませて通勤路を歩く。目指すはいつもの駅だ。五分ほど歩いて、気になって後ろを振り向くと、十数メートル離れた自宅から、まだホメロスがこちらを見送ってくれているのが見えた。毎日こうであればいいのに、と思いながらもそうはいかないジレンマに悪態を吐きながら、軽い足取りで駅に向かう。
電車に乗り、座席に座れた時はもう今日は雨がふるんじゃないかと心配になるほどだった。雨と言えばホメロスも、槍が降りそうなことをしてくれたな、とグレイグは思い出す。電車に揺られながら鞄を開けて、彼が作って包んでくれた弁当箱を見た。
「……ん?」
弁当の包みに、なにやらメッセージカードが挟まっている。黄色の小さな、ホメロスが仕事で使っているお気に入りだとか言っていたメモだった。どうしてもそれを読まなくてはいけないような気に捕らわれて、グレイグは二つに折りたたまれた紙を開く。
『今夜、おまえの部屋で待っている。』
それを読んだグレイグは、それまで軽やかに会社に向かっていた足を止めて、今すぐ家に帰りたいと思ってしまったのだ。
(20171013:第3回グレホメワンライ「伝言」)