時間旅行 - 1/2

 

 

 仲間たちと一緒に世界を守ったのは、もう何年前の話になるだろうと語れるくらいには日が経った。四十を迎えようとしている己を、グレイグは「まだそれほどの時間しか経っていないのか」と思うほどには実感がない。
 この数年間、グレイグは決まった日になると花を抱えて大樹に赴いた。今はもう地に落ちて跡形も残ってはいない。ホメロスもそれと同じだった。たとえ魔に染まり大樹の元に戻れないとしても。たとえ世界の誰もが闇に落ちたホメロスを糾弾したとしても。共に過ごした十年、二十年を振り返って、グレイグはホメロスの全てを悪だと言われるのは我慢ならなかったのだ。それに抗うように、グレイグは決まった日に、欠かさず花を携えては「ホメロスのところへ行ってくる」と部下や王に告げていた。
 今年もまた、その日がやってきたのだ。あいつに似合うようにと選んだ花は、今年も相変わらずホメロスの美しさにはかなわないなと鼻を高くする。アホ面をするなと叱られる幻聴が聞こえた気がした。
 ここまで露骨だと、誰もが彼を見て一度は考えるだろう。グレイグ将軍はホメロス将軍に並々ならぬ想いを抱いていたのではないのかと。グレイグ本人の口から語られることはなかったが、事実、グレイグはホメロスに友愛に似た確かな愛情を持っていた。
 それを己の中から口を通じて表に出すことは、相手がいなくなった今、ついぞ機会すらなくなってしまったのだが。

 グレイグは花を大樹に供えた日の夜に、決まって不思議な夢を見るようになっていた。記憶にあるホメロスと出かけた日々が、映画のように再生される夢だ。それだけなら、青く哀しい感情が洪水のように湧き出てくるだけでなんら支障はないのだが、問題は夢の中での己の存在だった。
 現実の自分と同じように、己の意思で動くことが出来るのだ。過去を舞台にした夢では、それはまるでその過去をやり直しているようだった。
 不思議な感覚がする夢では、必ずホメロスがいた。今年はホメロスのストレス解消にと、ふたりでダーハルーネのスイーツを食べに行った時の記憶だった。
 降り立った場所は雑貨店だった。ホメロスが、女性に文をしたためなければいけないのだと言って、白に金の模様が施された封筒を手にしていた。そういえばこんなこともあったな。相手の女性のことが気になったこともあったと記憶を手繰り寄せる。
 グレイグはぐるりと辺りを見渡して、恒例となった状況把握に努める。服は、ホメロスに指摘されて見立てまでしてもらった服装をしていた。手のしわは少し控えめで、窓ガラスで確認した顔は現実よりも一回り以上若返っていた。
 買い物を済ませると、このあとケーキを食べに店に入るのだと、グレイグはそこまで思い出していた。案の定、記憶通りに物事は進んでいく。ホメロスの後ろをついて、グレイグはあのときと同じ種類のケーキを頼んでふたりで席についた。
「どうしたグレイグ。食べないのか」
 中々ケーキの減らないグレイグを見て、ホメロスが心配そうに声を掛けた。グレイグは生返事をこぼしてホメロスを見つめていた。
 グレイグには試みようとしていたことがあった。ある日の夢をみたら、必ず成さなければと毎年意気込んでは成しとげられなかったことだ。その日がようやくやってきた。
 今年のこの夢――ダーハルーネで、ふたりでスイーツを食べた懐かしい思い出。まだ将軍にもなっていなかった、若かりし自分たち。勇気のなかった青臭い己のただ一つの後悔。それらが全て詰まったこの記憶が舞台にならないわけがない。そう思って毎年眠りについたが、希望は叶うことなく朝日を浴びたあの日あの時が報われる。
 夢なのだから。そう言い聞かせて、グレイグは言葉を発した。
「ホメロス」
 金色の、まだ記憶に鮮烈に刻まれている、くすんでいない髪が太陽の下で海のように日を反射している。その髪がグレイグの記憶の中で生きているホメロスと同じように、風になびいて美しかった。こちらを向く瞳も、早く言えと急かす唇も、待ちくたびれたと主張する頬杖も、そこに乗った柔らかそうな頬も、見える全てがこのまま絵画に写し取ってしまいたいと思った。
「俺と、この先もずっと、添い遂げてはくれないか」
 グレイグのその言葉を聞いて、ホメロスは目を丸くした。持ち上げたフォークの隙間からクリームが落ちる様子を、見ている人物はいなかった。
「グレイグ」
 ホメロスは、クリームの落ち切ったフォークを皿に置いた。残り半分を切ったケーキが、ぐらぐらと不安定に揺れている。グレイグはその長い沈黙の間、ホメロスの言葉を待っていた。同意の言葉でも、否定の言葉でもいい。ホメロス自身の言葉が欲しかった。こころをどす黒いものに浸食されていない、ホメロスのものが欲しかったのだ。それなのに、夢ですらそう甘くはなかった。
「俺は最後に、お前と並べた気がして嬉しく思ったぞ」
「はぐらかさないでくれ」
「はぐらかしてなんかいないさ。俺にもう『先』なんてないだろう?」
「ホメロス、なにを」
 グレイグはホメロスから矢継ぎ早に繰り出される、認識違いの言葉をうまく咀嚼できずにいた。ここはグレイグの記憶に沿った世界のはずなのだ。それなのになぜ、ホメロスは自分に先がないというのだろうか。なぜ最後だと言い切るのだろうか。これからだって、この夢を毎年見るはずなのだ。それに、もうホメロスの方が先にいってしまったではないか。
「目が覚めたら、己の机の引き出しを開けろ。その裏側を見るといい」
 複雑に絡まってすぐには解けなくなった思考回路を、ホメロスの声が包む。
「四十にもなって、泣き虫だな僕の幼馴染は」
 ホメロスはグレイグの記憶に埋もれてしまっていた笑顔を零した。あどけなさを残した、陽だまりのような笑顔だ。もうすぐ二十を迎える時の姿をした彼のそれを見届けてグレイグは、次の瞬間には自室の天井を視界一面に映していた。伸ばした手が、空を仰いでいる。「待ってくれ」と叫んだ声は、ホメロスには聞こえなかったかもしれない。布団はずるりとベッドから落ちかけていた。
 すぐさま飛び起きて、グレイグは机の引き出しを開けた。整頓のされていない中身たちが、がちゃがちゃと音を鳴らす。そんなこともお構いなしに、引き出したそれの下に潜り込んで、夢の中でホメロスに言われたとおりに裏を見た。
 そこには時間が経って少し黄色みを帯びてしまった封筒が、ひっそりと張り付けられてあった。元は白色だったであろう封筒は、金色の模様で装飾されていて、グレイグは既視感を覚えた。これは、たしかホメロスが夢の中で手にしていたものではなかっただろうか。文を書くのだというホメロスの言葉で、相手の女性を羨ましく思ったそれではなかっただろうか。
 グレイグは手紙の封を切った。何が書かれてあるのか、緊張で心臓が早鐘を打つ。恨みつらみがびっしりと書き込まれているのかもしれない。ホメロスとは全く無関係の人物のいたずらかもしれない。そもそも、宛名が書かれていないこれが、グレイグに宛てたものだという確証を持てなかった。
 グレイグは認めたくなかっただけである。今まで己が毎年見ていたあの夢はやはりただの夢ではないこと。そこで出会ったホメロスは、グレイグの記憶が作り出した紛い物ではなく、個の意志をもってあの世界を生きていた、本物のホメロスであること。ホメロスが言った「最後」とは、もう会えないという意味であること。そのどれもを、グレイグは認めたくなかったのである。
「返事、確かに受け取ったぞ……ホメロス」
 愛おしそうに便せんを封筒にしまって、グレイグは前を向いた。

(20171112)