あの蜃気楼をつかめ[前] - 4/4

思うんだけどね、と言ったのはキリアさんだった。正確には、新着トピックの通知の一番上に表示されていた言葉だった。
スマホから少し目を離した間に送られてきていたみたいだ。直前まで仕事の話をしていたのだから、その続きなんだろう。「5分前」の表示が知らせるその時刻は、ちょうど電車に乗るために定期を出したりスマホをしまったりした時間だった。
思うんだけどね、イツキはもっと自由にしていいと思う。
キリアさんが何を言おうとしているのか、その一文で分かってしまった。運良く座れた、若干混み始めた電車の中で俺はキリアさんに返事をした。休憩時間なのか仕事同士の空き時間なのかまでは覚えていないけど、そのどちらかなのか、すぐに返信のポップアップが画面に光る。
大学の勉強も、マイコさんと一緒にしている経営者としての勉強も、どちらも良くがんばっていると褒められていた。今日はとてもよく喋るなぁと、次々送られてくるメッセージを追っていく。時々挟まれる、照れ隠しの文章にキリアさんの素を見つける。どうやら事務所にいるらしい。あとで会えそうだなと思ってくすりと笑ってしまった。隣に座ったスーツの男性が一瞬こっちを見たけれど、すぐに視線を元に戻していた。
一人で思いつめないでほしい。仲間に相談してほしい。キリアさんのメッセージには、そんな思いがこもっていた。

「どういうことですか、これ」
キリアさんとのトピ画面をマイコさんに突きつけた。マイコさんの隣に立つキリアさんは、予想していたのか驚いた様子はない。
「どうもこうもないわよぉ。イツキくんに、お・し・ご・と、取ってきちゃった!」
「諦めなさいイツキ。諦めたほうが、早いわ」
「キリアさんまで……」
「ってことでー、これなんだけどねイツキくん」
「ちょ、ちょっとマイコさん! 俺はもう芸能の仕事は、」
「大丈夫よぉ。だって私も、社長しながらモデルもやってたんだから! 見たことあるでしょ? 撮影現場」
「見たことはありますけど、でも俺はもう、パフォーマもなくて」
そうだ。パフォーマはもう無い。自然と口をついて出たのは、俺がずっと認めたくないと思っていたことだった。
クロムたちが帰ってから、ゆっくりとパフォーマが消えていった。目に見えていたものがなくなったからじゃない。体の内側から湧き上がっていたものがどんどん枯れていく、そんな感覚を体感して、そして、俺はそれを誤魔化すように「進学」を決めた。一般入試の最終日程の受付が数日後に迫っている、まさにその頃になって。
(キリアさんも同じだったのか)
パフォーマそのものは、私にももう見えないわ。それが不安になって、仕事でミスをしたこともあった。アレはさすがに堪えたわ。もうKiriaとしては歌えないかもしれない、ってね」
キリアさんも同じだったのか。この人も、一人であの不安感と戦っていたんだ。
「そんなことないです! キリアさんの歌は、今も色んな人に勇気を与えています!」
俺が強く否定すると、キリアさんはしっかりと口角をあげて微笑んだ。
「ありがとうイツキ。そうよ、それは間違いだった。たしかにパフォーマは見えなくなったけれど、私の歌はまだ誰かに力を与えることが出来ている。パフォーマは、まだある……トウマが、そう言ってくれた」
「トウマが?」
「トウマの知り合いの子に、ミラージュマスターがいるでしょう?」
「あ……はい、います。リクくん、ですよね」
「そう、たしかそんな名前の男の子だった。あの子のミラージュ、まだこっちにいるみたいなの」
「そうなんですか!? 帰ったと思ってました」
「トウマもそう思っていたみたい。でもあの子のミラージュは、あの子を一人には出来ないと思ったみたいね。詳しいことは分からないけれど、そのミラージュやマスターであるその子には、パフォーマが見えているそうよ。だから、パフォーマは消えたわけじゃない。私たちが見えなくなっただけよ」
「それは、俺たちが……マスターじゃなくなったから、ですか」
「そう、としか言えないわね。でも、だからこそ私は歌い続けるの。サーリャがパフォーマを欲しがって、いつかやってくるかもしれないし、ね」
サーリャは私のことをよくかわいいって言ってからかってきたけれど、サーリャだってかわいいところがあったのよ。キリアさんは、一点の曇りもない笑顔でそう言った。
「だから、イツキもやってみない? あっちから来させてやるって気持ちで、芸能を、さ」

 

(20200904:前編公開)