二年C組、スカラビア寮副寮長、バスケ部所属、名前はジャミル・バイパー。カリム寮長の従者であり、よく寮長の奔放さに振り回されている。料理が上手い、ダンスが得意、たぶん体育も。耳が良いだけの俺とは違うから羨ましい。成績は真ん中くらいだから、まあ俺と同じくらいだと思う。虫が苦手らしいけど、本人は否定的。否定的なだけで反射的な行動は隠せていないときの方が多い。よって、知ってる人は知っている弱点。
俺が知っている副寮長は、そんな人だ。それ以外は何も知らない。カリム寮長のことの方が俺はよく知っている気がする。なんていうか、その、良くも悪くも印象に残らないのが副寮長だった。
全く存在がないわけでもなく、かといって存在感に溢れているわけでもなく。一年も一緒に過ごせば同級生のことなんてそれなりに色々と知るはずなのに、俺は副寮長のことを知らない。同級生なのにな。
そんな中でも、強烈に記憶に残っていることがある。
「もうすぐ副寮長の誕生日じゃないか?」
誰かが談話室でそう言った。そいつも同期で、けれど別のクラスのヤツだった。俺の向かいに座ってるヤツだ。
「そうだな。確か、あさってだ」違う誰かが言った。その場の全員が「そうだった」と頷く。通りかかった寮生が不思議そうな顔で立ち止まった。当たり前か。全員が頷く光景なんて、目立つ以外のなにものでもない。
「あさっては副寮長の誕生日なんですか?」
立ち止まったのは後輩の二人組みだった。
「そうだ。知らないのか?」
「知らないですよ。副寮長、自分のことは一切話さないですし」
「そうか、一年は去年のアレを知らないんだったな」
「アレ、ですか?」
「そう、アレだ。俺たちも副寮長のことはほとんど知らないが、誕生日だけは全員知ってる」
「むしろ誕生日以外は知らないと言ってもいい」
「いやさすがにそれは言い過ぎだろ」
「そうか? あの副寮長だぞ?」
「うーん。このまま三年になるまで新しい情報がなかったら言い過ぎでもない、かも?」
「先輩! アレってなんですか!」
「悪い悪い、アレって言うのはな――」
「おい、さすがにもう少し静かにしないか」
「あ、副寮長。おつかれさまです」
現れたのは副寮長だった。両腕の中に、何かがぎっしり詰まった袋を抱えている。よく見るとサムさんのところの袋とはまた違うもののようだ。
「一人ですか? 寮長は?」
「カリムなら部屋で課題の最中だ」
「もしかして、また、ですか」
「また、だな。今回は前々日に気づいたから間に合いそうで良かったよ」
「それでも前々日なんですね」
「前日の夜に言われるよりはよっぽど良いさ」
寮長は相変わらず、課題を忘れがちなようだ。それにしても前日の、しかも夜か。俺は少し震え上がった。前日の夜に思い出す、翌日締切の課題。その存在はいつだって恐怖でしかない。なにせ俺も、それを知っている者の一人だ。話を聞いていただけなのに、冷えた肝が温まらない。後輩二人は思い当たるものがないようで、というか寮長の恐ろしい話について何一つ理解出来ていないようで、ああ無知とはなんて幸せなんだと羨ましくなった。入学してすぐだと、そりゃあ課題もないし。課題がないってことは締切を過ぎてしまったときのペナルティについても知らないというわけだ。そんな頃に戻りたい。……いややっぱ嫌かも。もう勉強はしたくない。
「あの、その袋はなんですか?」
一年の片方が聞いた。そうか、入学したてだと知らないのか、と納得する。俺たちは見慣れた光景だが、一年たちはそうじゃない。袋を抱える副寮長の廊下往復はスカラビア寮の名物だ。慣れてもらわないと。いや、嫌でも見慣れていくから、まあいいか。
「これからカリムの食事を作るんだ。これはカリムの家から届いた食材だな」
副寮長はごく自然に質問に答えていた。
「ああ、どうりで。袋の質が違うと思いました」
俺がそう言うと、副寮長の目が少し鋭くなった。
「違いが分かるのか」
「え、いや、まあ……実家がそういう、広く言えば素材全般を扱うことを仕事にしてますから……あ、食材は全然わかりませんけどね」
「そうか」
副寮長は何かを考え込んでいるようだ。袋で見分けられるのは盲点だった、とかなんとか。何の話か最初はさっぱり分からなかったが、そういえば寮長は、かなり命を狙われやすいとか言ってたっけ。似た袋でカムフラージュでもして、そういう対策をしていたのかもしれない。もしかしたら俺は、その対策を台無しにした可能性がある。そりゃ睨まれるわけだ。蛇に睨まれた蛙になってしまうのも無理がないくらい鋭い視線を送られるのも仕方がない、というやつか。
俺は冷や汗が止まらなかった。副寮長の目を見ているのが、なぜかとても恐ろしくなってしまったせいだ。
「そ、そんなことよりも副寮長! あさっては副寮長の誕生日ですよね?」
「なっ、」
「今年もやるんですか? 誕生日のパー……」
「ちょっと待てそれ以上言うな!」
副寮長の大声が談話室に響いた。一年も二年も、俺を含めて全員が固まる。年に何度か聞くとはいえ、普段静かな副寮長の大声は、やっぱり驚いてしまう。
「カリムが聞いたらどうするんだ、去年みたいなことになるだろ」
先に硬直から抜け出したのはやはり同期の二年だった。
「ええー、今年もやりましょうよ。せっかくですし」
「新入生の歓迎会も兼ねてみたらどうですか?」
「てか単純にお祝いしたいんですって、同期として」
みな口々にそう言った。期待に満ちた声だ。気持ちは分かる。アレは本当にすごかった。
俺は去年の今頃を思い出した。入学して二週間で体験したあのときの記憶は、たとえ忘れたくなっても忘れられない。日付までしっかり覚えている。
「あのなあ……」
副寮長は、長いため息をついた。
「やるのは良い、百歩譲って。でもその準備は誰がしたと思ってる」
「「「「あ」」」」
「思い出したか。自分の誕生日を祝う準備を自分でしたいと思うか?」
「思わないですね」
「右に同じく」
「でも寮長は副寮長の作ったものしか食べられないんですよね」
「じゃあどうがんばっても副寮長には料理をしてもらわないといけないのか……」
「そうだ。幸いなことにカリムは去年と違って課題のことで頭がいっぱいだ。だから思い出さないよう俺の誕生日のことは一切口にするな。頼むから」
副寮長は珍しく少し早口だった。よっぽど焦っていたのだろう。副寮長の切実な頼みに、俺たちは誰一人として話を続けられなかった。
「あの……すみません。去年はそんなにすごかったんですか?」
おずおずと、控えめな声が響いた。一年だ。
「ああそうだ。アレだよアレ。アレってコレのことなんだ」
同期の一人が、弾かれたように話し始めた。そういえば、副寮長が来る前はその話をしてたんだったっけ。
「去年はすごかったんだよ。俺たちもまだ入学してすぐでさ、誰の誕生日も知らなかったわけなんだけど、寮長が突然宴をするぞって言い出して」
「いやいや、あの時はまだ寮長じゃなかっただろ?」
「そうだっけ? まあ分かりにくいから寮長のままでいくわ。それでさ、なんの宴なのか聞いたら『ジャミルの誕生日なんだ』って言ったんだよ」
「それでスカラビア寮生全員を招待した誕生日パーティーが開かれたってわけ。だから俺たち二年と先輩の三年は全員、副寮長の誕生日を知ってるんだぜ」
「わぁ……! そうだったんですね! いいなぁ……」
「もう……忘れてくれ……」
一年の目がどんどん輝いていく。それに対して、副寮長の目はどんどん遠くなっていく。副寮長、誕生日を祝われたいような人に見えないしな。しかも去年は入学して早々、全寮生に誕生日がバレたわけだ。しかもその自分のための宴の準備は自分自身ときたら、意識が遠のくのも当然か。いつも寮長の思いつきやらなんやらに応えている副寮長だけど、少し不憫に思えてきた。
「いやいや忘れられるわけないじゃないですか」
「そうですよ! 料理はおいしかったし、あんなに豪華なパレードも初めて見たし」
「それを全部手配したのは俺なんだが……」
「すみませんすみません。今年はしっかり手伝いますから」
「そういうことじゃない……」
……不憫に思ったのは俺だけか? 他の同期は全員、今年もやる気満々のようだ。ますます副寮長が不憫に思えてきた。
「でも寮長のことですから、きっと前日の夜か当日の朝になって『今日はジャミルの誕生日だった!』って言うと思いますよ」
「あ〜、ちょっと似てた」
「マジ? やった」
「なら今から準備したほうが良いですよねー。ちなみに俺も、寮長は思い出すに一票入れます」
「あ、俺も俺も」
「そうだ! これを気に、寮長に副寮長の作ったもの以外も食べてもらえるようになればいいんじゃないですかね」
「……わかったよ。カリムの食事の準備が終わったらまた声を掛けるから、手伝ってくれるか?」
「やった! もちろんですよ!」
結局、副寮長が折れる形で今年も宴が開かれることになった。この人、めちゃくちゃ苦労してるな、と俺まで意識が遠のきそうだ。胃薬とか差し入れた方がいいだろうか。誕生日の贈り物が胃薬というのはちょっと、いやかなり、結構嫌だな。別の機会に贈るとするか。
長い長いため息を二度もつきながら、俺の脇を通って副寮長は厨房へと歩いていった。なにかぶつぶつと呟いている。副寮長の愚痴なんて珍しいかも、と、俺は興味本位で聞き耳を立てた。…………まだ料理を食べられるようになってもらうのは困る、っていうのは、一体どういう意味なのだろう。
「よーし! 今年も美味い飯が食えるな!」
俺以外の誰にも、副寮長の呟きは聞こえていないみたいだ。俺の聞き間違いだったのかもしれない。そうだよな、副寮長の作ったものしか食べられないって方が、副寮長にとっては困るはずだもんな。
きっと聞き間違えたのだ。俺は一人でそう納得しながら、今年のウィンターホリデーの後に寮長たちへ贈る、宴のお礼の品のことを考えていた。
(20200912)